あなたは神のコイン

「あなたは神のコイン」 2023/10/22

マタイの福音書22章15~22節

 今日の聖書箇所に「税金を納めるか?おさめないか?」という問題が出て来ます。私たちの感覚では税金を納めるのが当然ですが、イエス様の時代のイスラエルでは話はもっと複雑でした。当時のイスラエルがローマ帝国の支配下にあったからです。イスラエル人の中には「親ローマ派」と「反ローマ派」がありました。「親ローマ派」は当時イスラエルの政権を握っていたヘロデを支持する「ヘロデ党」等で、「反ローマ派」はパリサイ派や熱心党の人たちでした。「自分たちは神に選ばれた国民である。異邦人であるローマに仕えるのはおもしろくない」というわけです。そんな両者が「イエスを陥れる」という共通の目的のために手を結びました。パリサイ派(反ローマ)とヘロデ党(親ローマ)がそろってイエス様のところにやって来て「税金をカイザル(ローマ皇帝)に納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」(17)と質問したのです。「かなっている」と答えればパリサイ派が黙っていません。「かなっていない」と答えればヘロデ党が黙っていません。どちらにしてもイエス様をわなにかけることが出来るというわけです。

それに対してイエス様は「納め金にするお金をわたしに見せなさい」(19)とおっしゃり、コインに刻まれたカイザルの肖像を指さして「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」(22)と言われました。つまり「普段わたしたちはローマ政府やローマの警察に守られているのだから、それに対して税金でお返しするのは当たり前ではないか」ということです。その皇帝のはるか上に神様がおられます。だから「カイザルのものをカイザルに返すことが、結局は神のものを神に返すことにもなる」のです。

しかし「神のものは神に返しなさい。」にはもう一つ意味があります。「神のもの」とは私たち自身のことです。自分自身の所有権や使用権を神の手に戻しなさいということです。「自分は自分のもの。何をやっても自由」と思っている自分の罪を悔い改め、救い主イエス様を信じる時、私たちは神様のものに返ります。そして「神の像が刻まれたコイン」として、神様と人々のお役に立つ者となるのです。そんな神様のコインにふさわしく歩んで参りましょう。

(永田 令 牧師)