月別アーカイブ: 7月 2017

元気づけてあげます

「元気づけてあげます」 2017/7/30

イザヤ40:26~31、マタイ11:25~30

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(11:28)。この「休ませてあげます」という言葉をマルチン・ルターは「元気づけてあげます」と訳しました。ほんとうの「休み」とは、ただ心や体をリラックスさせるだけではなく、イエス様の御言葉を聞き、聖餐にあずかることによって、生き生きと活躍する力を魂にいただくことだからです。 (さらに…)

自分の十字架を負って

「自分の十字架を負って」 2017/7/23

      エレミヤ28:05~09、マタイ10:34~42

日本の夏は平和を考える季節です。ところが今日の福音書でイエス様は「わたしが来たのは地に平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来たのです。」と言われました(マタイ1034)。イザヤ96で「平和の君」と呼ばれているイエス様が、なぜこんなことをおっしゃったのでしょうか?

イエス様は、「表面的な平和」や「偽りの平和」をもたらすために来られたのではなく、本質的な平和をもたらすために来られたのです。そのために一時的に「剣」も投げ込まれます。 (さらに…)

恐れよ、恐れるな

「恐れよ、恐れるな」 2017/7/16

    エレミヤ20:07~13、マタイ10:16~33

聖書を学んでも学んでも身につかないわたしたちですが、それでも学び続けることで、少しずつ変えられていきます。これが御言葉の力です。

今日の福音書に「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです」「わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます」とあります。もちろんクリスチャン生活は、喜びと平安と笑顔に満ち溢れたものですが、同時に、クリスチャンだからこそ通らなければならない試練や痛みもあるのです。 (さらに…)

塵の中を通って

「塵の中を通って」2017/7/9

    出エジプト19:01~18、マタイ09:35~10:15

イエス様は「収穫のための働き手」とするために、多くの弟子(従う者)の中から12使徒(遣わされた者)を任命されました。収穫とは、救いに与る人々のことで、今日の箇所では、6節にあります「イスラエルの家の失われた羊」つまりユダヤ人を指しています。更に、使徒たちの派遣先はガリラヤ地方に限定されていました。このガリラヤ地方は異邦人による異教文化が根付いていたため「異邦人のガリラヤ」と蔑まれ、人々の心は痛んでいました。しかし、そんな人々のもとにイエス様は人となって来てくださいました。 (さらに…)