月別アーカイブ: 3月 2022

今日のニュース

「今日のニュース」 2022/3/20 四旬節第3主日礼拝メッセージ

ルカの福音書13章1~9節

今日の聖書は、まるで当時のニュースのような箇所です。ある人たちがイエス様に、「ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜた」(13:1)という情報を伝えました。当時ローマの植民地だったイスラエルで、「反ローマ」のガリラヤ人グループがローマ政府の転覆を企てているらしい、という情報がローマ総督ピラトの耳に入ったようです。それでピラトは兵士を送り込み、そのガリラヤ人たちがいけにえを捧げて礼拝している最中に剣で殺し、その血がいけにえの動物の血に混じったという事件です。何だか現代でも起こりそうな出来事です。この情報をイエス様に伝えた人は、「彼らがこんな目に会ったのは、自分が悪いからだ」と思っていたようです。しかしイエス様は「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます」(3)と言われました。「ひとごとではなく、これはあなた自身の問題ですよ」と言われたのです。

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狐(きつね)と雛(ひな)

「狐(きつね)と雛(ひな)」 2022/3/13 四旬節第2主日礼拝メッセージ

ルカの福音書13章31~35節

今日は四旬節第2主日です。イエス様が十字架にかかられる日が近づいていたある日、何人かのパリサイ人がイエス様の所にやって来て、「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」と言いました(31節)。彼らはイエス様を心配しているのではありません。裏で国主ヘロデと手を組み、イエス様をこの地方から追い出そうとしていたのです。イエス様はそれを見抜き、「行って、あの狐にこう言いなさい。」と言われました(32節)。「狐」というのはヘロデのことですが、ずいぶん厳しい言い方です。それは「ずるがしこい者」や「小心者」を指す言葉です。ヘロデは自分の兄弟の妻と不倫したり、自分の欲望とメンツのためにバプテスマのヨハネの首をはねたりと、神様の戒めをことごく破りました。このように神様へのおそれのないすべての人に対して、イエス様は怒りを持って「狐」と言われます。その中にはわたしたちも含まれます。わたしたちも神様の戒めより自分の欲望やメンツを優先する者だからです。しかし (さらに…)

頑としてゆずらず

「頑としてゆずらず」 2022/3/6 四旬節第1主日礼拝メッセージ

ルカの福音書4章1~13節

3月2日(灰の水曜日)から四旬節(受難節)に入りました。イエス様の十字架の苦しみを覚える季節です。きょうの聖書はイエス様が荒野で40日間断食した後、悪魔の誘惑を受けられた箇所です。バプテスマのヨハネから洗礼を受けて、イエス様は聖霊に満たされていました。でも悪魔はやって来ました。御言葉や祈りによって聖霊に満たされていても、悪魔の誘惑はあります。むしろそういう人を何とか倒そうと、悪魔は襲ってきます。しかしイエス様は悪魔の3つの誘惑を、超自然な方法ではなく、すべて「聖書の言葉」で跳ね返されました。これならわたしたちにも出来ます。

1つ目の誘惑は「石をパンに変えよ」というものでした。それはイエス様にとって簡単でしたし、大きな快楽を得られる誘惑でした。悪魔はわたしたちにも、簡単で、大きな快楽を得られることで誘惑します。しかしイエス様は聖書の申命記にある「人はパンだけで生きるのではない」という御言葉で対抗しました。

2つ目に悪魔は (さらに…)

隠れないで!

「隠れないで!」 2022/2/27 主の変容主汁礼拝メッセージ

ルカの福音書9章28~36節

きょうは「主の変容主日」。山の上でイエス様の姿が変わって、真っ白に光り輝いたことを記念する日曜日です。それまでイエス様は普通の人間の姿でした。それが突然輝いたのです。実はこの栄光に輝く姿こそ本来のイエス様の姿であり、ふだんはその栄光の姿を隠して、私たちと同じ人間の姿になっておられたのでした。いつか再びイエス様が地上に来られる時は、本来の姿で来られます。マルコ13:26に「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」と書かれてある通りです。

山の上でイエス様の姿が輝いたのは、後にイエス様が丘の上の十字架で死んで復活されることを象徴しています。十字架で死ぬ姿はとても栄光の姿に見えません。しかしそれが栄光の姿なのです。わたしたち罪びとにゆるしを与え、死と悪魔とから自由にし、天国に招き入れる栄光の輝きです。

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