月別アーカイブ: 8月 2021

神から与えられた武具

「神から与えられた武具」 2021/8/22 聖霊降臨後第12主日礼拝メッセージ

ヨハネ6:56-69

また対面での礼拝が出来なくなってしまいました。しかしこんな時だからこそ、聖書の御言葉に耳を傾け、足元を強くして、しっかり立ちましょう。

イエス様は「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります」と言われました(56節)。もう少し誤解を招かない言い方も出来たのではないでしょうか? 「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」(63節)。とある通り、イエス様が話される御言葉は、霊であり、いのちです。人間の頭ではわかりません。だから受け取る側も、霊、すなわち聖霊様の導きによって受け取らなければなりません。へりくだった心で、「主よ、教えてください!」という態度で御言葉を聞かなければなりません。それでイエス様はあえてわかりにくい言い方をされて、「主よ、どういう意味ですか?教えてください!」と人々が叫ぶのを期待されたのです。ところが、 (さらに…)

わたしは生けるパンです

「わたしは生けるパンです」 2021/8/15 聖霊降臨後第11主日礼拝メッセージ

ヨハネ6:51-58

本日の箇所は聖書の中で最も衝撃的な部分と言えるでしょう。わたしはパンなのだからわたしを食べなさいと。そのパンとはわたしの肉であると。
こう言われたのは、パンの奇跡について、真の意味を伝えるためです。
パンの奇跡の第一の理由は、イエスさまと神さまが一つであることを知ってもらうためです。第二の理由は、人々に人生の目的は食べることではないと、理解してもらうためです。マタイの福音書に「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と書いてあるとおりです。
ところが、 (さらに…)

イエス様を食べよう!

「イエス様を食べよう!」 2021/8/8 聖霊降臨後第11主日礼拝メッセージ

ヨハネ6:35、41-51

きょうのタイトルは「イエス様を食べよう!」です。もしかしたらこれを見てショックを感じた人もあるかもしれません。「イエス様を食べる」とはいったいどういう意味でしょうか?

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」(ヨハネ6:35)。この「いのちのパン」の「いのち」には、「活き活き生きるちからの源」という意味が含まれています。人が「活き活きと」生きるために不可欠なもの、それはまずは食事です。おなかがすいていたら良い結果を残せないどころか、そのままでは死んでしまいます。預言者エリヤが霊的に落ち込んでいた時、神様が彼を元気づけた方法は、パンを食べさせ、水を飲ませることでした。人間にとって食べて飲む、ということは、肉体のためにも、魂のためにも必要なのです。バランスの良い食事を心がけましょう。

しかしただの「ごはん」だけでは、内側から活き活きと生きることは出来ません。わたしたちは「イエス様を食べる」必要があります。イエス様を食べるとは、イエス様がわたしたちを罪から救うために天から来られて、わたしたちの身代わりに十字架で死んでよみがえられたことを、自分のこととして信じて洗礼を受け、聖餐にあずかるということです。 (さらに…)

ライスワークとライフワーク

「ライスワークとライフワーク」 2021/8/1 聖霊降臨後第10主日礼拝 メッセージ

ヨハネ6:24-35

きょうは平和の主日です。ちょうど「平和の祭典」であるオリンピックも行われています。しかし平和はイベントによって実現するものではなく、1人1人の心の中で築かれるべきものです。

イエス様が5つのパンと2匹の魚で5000人以上の人を満腹にされた出来事を体験した群衆は、その後もイエス様を捜し回りました。イエス様は神様だと信じたからではなく、イエス様を独り占めにして、いつでもパンを出してもらおうと思ったのです。こういう自己中心なところがわたしたちにもあるのではないでしょうか?そしてこれこそ平和に反する性質ではないでしょうか?

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