月別アーカイブ: 5月 2021

スポットライトをイエス様に

「スポットライトをイエス様に」 2021/5/23 聖霊降臨祭礼拝メッセージ

使徒2:1-21

 きょうはイエス様の弟子たちに初めて聖霊が降臨したことを祝う「聖霊降臨祭」(ペンテコステ)です。クリスマス、イースターに並ぶキリスト教の3大祭の一つです。きょうの聖書、「使徒の働き」は、ルカの福音書の著者ルカが書いたもので、聖霊様の働きによって弟子(使徒)たちがどんな活躍をしたかが記されています。「使徒の働き」というより「聖霊の働き」と呼んでもよい書です。
この書には、使徒1:8の「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」という言葉通り、聖霊様が弟子たちを用いて、地の果てにまでイエス様を証ししていくプロセスが書かれています。聖霊様は常にスポットライトをイエス様に当て、決してご自分が目立とうとはなさいません。ヨハネ16:14でイエス様が「御霊(聖霊)はわたしの栄光を現します。」と語っておられる通りです。

では、聖霊様はどのようにしてイエス様にスポットを当てられるのでしょうか?それは人に「罪の自覚」を与えることによってです。 (さらに…)

天からの力

「天からの力」 2021/5/16 主の昇天主日礼拝メッセージ

ルカ24:44-53

きょうは昇天主日。イエス様が復活されてから40日後に天に昇られたことを記念する日曜日です。「天」というのは物理的な「空」のことではなく、神の世界、天の国のことです。そこは罪深い人間の手が届かない、聖なる世界です。人間は天の国に入るどころか、天の神様に「父よ」と話しかけることすら本来ゆるされません。それくらいわたしたち人間は神様から遠く離れた存在です。

しかし、神の御子イエス様が神様の姿を捨てて、天から地上に降りて来てくださり、十字架で死んでくださいました。このイエス様の死を、自分の罪の身代わりであったと信じて洗礼を受ける人は、地上の命が死んで、天の命によみがえります。「人は、新しく(=天から)生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)。 (さらに…)

友のために

「友のために」 2021/5/9 復活節第6主日礼拝メッセージ

ヨハネ15:9-17

今日の箇所でイエス様は「あなたがたが互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです」と2回もおっしゃいました。これは最後の晩餐で弟子たちに語られた言葉ですので、「あなたがた」というのはイエス様の弟子たち、つまりクリスチャンのことです。教会員同士が互いに愛し合うならば、それによって周囲の人々がイエス様の愛を知るようになるということです。

先週のお話で「イエス様はぶどうの木、わたしたちはその枝」ということを聞きました。クリスチャン一人一人がイエス様という木につながっているならば、その枝同士、つまりクリスチャン同士もつながっていることになります。だから「互いに愛し合う」というのは「自分自身を愛する」ことであり、いわば当然のことなのです。ところが実際は非常に難しい。 (さらに…)

キリストにつながって

「キリストにつながって」 2021/5/2

ヨハネ15:1-8

「わたしはまことのぶどうの木です」とイエス様は言われました(ヨハネ15:1)。「まことの」というのは「偽物ではなく本物の」という意味です。「偽物のぶどうの木」もあります。それはここではイスラエルを指しています。本来イスラエルは神様に選ばれた国であり、聖書も読んでおり、神様のことを一番よく知っているはずの国でした。神様はイスラエルに甘いぶどう(公正、正義)を期待しましたが、出来たのは酸いぶどう(流血、泣き叫び)でした。彼らが聖書を読んでも本気で悔い改めることなく、ただ自分の願望を満たすために人を利用し、神様さえも利用したからです。「自己実現」だけを追求する人生に本当の幸せはありません。

わたしたちも、「神と隣人を愛せよ」という教えが聖書にあることを知りながら、それを実践しているでしょうか?あるいは実践できていないことを本気で悔い改めているでしょうか? (さらに…)