月別アーカイブ: 1月 2018
救い主の出現
「救い主の出現」 2018/1/28
マルコ1:21~28
イエスさまがカペナウムで宣教を開始されたとき、人々は、イエスさまが権威ある者のように教えられたことに驚きました。権威とは、人々を威圧し、信頼させ、承認させ、従わないといけないと思わせる力です。しかし、イエスさまには人を威圧する肩書も名声もありません。それでも、人々は圧倒的な権威の存在を感じるほど、イエスさまの言葉に信頼し、承認-そのとおりだと認める気持ちを抱いたのです。 (さらに…)
本物のプロ
「本物のプロ」 2018/1/21
エレミヤ16:14~21
マルコ1:14~20
今日の福音書はイエス様がシモンペテロやヨハネなど、4人の人を弟子にする場面です。彼らはプロの漁師でした。自分の仕事に誇りを持ち、毎日忠実に漁師の仕事をしていました。今日の箇所でも、シモンとアンデレは「湖で網を打って」いましたし、ヤコブとヨハネは「舟の中で網を繕って」いました。このように地道に自分の仕事をしていたのをイエス様は「ご覧に」なり、 (さらに…)
小さなキリストとして
「小さなキリストとして」 2018/1/14
イザヤ42:1~7
マルコ1:9~11
今日は「主の洗礼日」です。神の御子であり、罪のないイエス様が、なぜ「罪のゆるしのため」の洗礼をお受けになったのでしょうか?そのヒントはマルコ1:11にあります。
「そして天から声がした。『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。』」この神様の声は、前半が旧約聖書の詩篇2:7、後半がイザヤ書42:1の言葉となっています。 (さらに…)