月別アーカイブ: 9月 2022

やりおる!

「やりおる!」 2022/9/18 聖霊降臨後第15主日礼拝メッセージ

ルカの福音書16章1~13節

東京オリ・パラのスポンサー契約にまつわる不正のニュースが世間を騒がせていますが、今日はイエス様が不正を奨励しているかのような箇所です。主人の財産を乱費していたことがバレた管理人。そこで彼は主人から油などを借りている人たちの書面を書き換え、負債の量を減らしてやります。クビになった後、助けてもらうためです。これは明らかな不正です。ところがこの主人は、彼がこうも抜けめなくやったのを「やりおる!」と(言ったかどうかはわかりませんが)ほめたというのです。なぜでしょうか?

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どちらの側につくのか?

「どちらの側につくのか?」 2022/9/11 聖霊降臨後第14主日礼拝メッセージ

ルカの福音書15章1~10節

米同時多発テロ事件から21年たちました。当時の米大統領は「我々の側につくか?テロリストの側につくか?」と発言しました。このように自分の意に沿わない人々と自分たちとの間に線を引き、相手を見下したり憎しみを覚えたりする性質が、人間にはあります。

取税人や罪びとたちがイエス様の話を聞きに集まってきました。彼らは律法に背いて不正や姦淫を行っていたので、人々から白い目で見られていました。しかしイエス様は彼らを受け入れ、一緒に食事もしました。ところがそれを見てパリサイ人や律法学者たちが非難しました。自分たちは正しい側の人間だと思っていたのです。

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二つの道

「二つの道」 2022/9/4 聖霊降臨後第13主日礼拝メッセージ

ルカの福音書14章25~33節

イエス様は、一緒に歩いていた群衆に「父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません」(26節)、「自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません」(33節)と、とても厳しいことを言われました。まるでどこかのカルト教団のようです。しかし26節の「憎む」の意味は、本当に憎むのではなく「神様と比べれば」という意味です。また「全財産をささげる」目的も、「貧しい人々に分けてあげる」ためです(ルカ18:22)。

人間には二つの道があると聖書は告げます。一つは「いのちと幸い」の道。もう一つは「死とわざわい」の道です(申命記30:15)。 (さらに…)

1ミリもなくても

「1ミリもなくても」 2022/8/28 聖霊降臨後第12主日礼拝メッセージ

ルカの福音書14章1、7~14節

イエス様が、あるパリサイ派の指導者の家に食事に招かれました。そのとき客たちが自分で上座を選んでいる様子に気づかれました。そこでイエス様はたとえを話されました。「婚礼の披露宴に招かれたときには、上座にすわってはいけません。あなたより身分の高い人が、招かれているかもしれないし、あなたやその人を招いた人が来て、『この人に席を譲ってください』とあなたに言うなら、そのときあなたは恥をかいて、末席に着かなければならないでしょう」(14:8-9)。

日本人がこれを聞くと「そんなの当たり前。自分から上座に座るなんて非常識。」と思うかもしれません。しかし日本人も心の中では「わたしは本当はもっといい席のはずだ」と思っているのではないでしょうか?

神様はわたしたちの心の中を見抜かれます。 (さらに…)