二つの道

「二つの道」 2022/9/4 聖霊降臨後第13主日礼拝メッセージ

ルカの福音書14章25~33節

イエス様は、一緒に歩いていた群衆に「父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません」(26節)、「自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません」(33節)と、とても厳しいことを言われました。まるでどこかのカルト教団のようです。しかし26節の「憎む」の意味は、本当に憎むのではなく「神様と比べれば」という意味です。また「全財産をささげる」目的も、「貧しい人々に分けてあげる」ためです(ルカ18:22)。

人間には二つの道があると聖書は告げます。一つは「いのちと幸い」の道。もう一つは「死とわざわい」の道です(申命記30:15)。わたしたちにいのちや家族をくださった神様をまず第一とし、神様の命令を守る道が「いのちと幸い」に至り、神様よりも「神様がくださったもの」を第一とする道が「死とわざわい」に至ります。しかし、すべての人は罪があるため、どうしても自分や家族や仕事や財産等を優先し、神様を二の次にしてしまいます。神様を第一に出来る人は「ゼロ」です。だから本当ならば、すべての人は「死とわざわい」に至るしかありませんでした。

そんなわたしたちを救うために、イエス様が身代わりとなって十字架で死んでくださり、よみがえられました。誰でも自分の罪を認めてイエス様を信じる人は、罪がゆるされ、ただちに「いのちと幸い」の道に移動します。戦争中の王は、勝利する可能性を熟考し、もし0%だとわかったら、ただちに降参するのが得策です(14:32)。それと同じように、「自分が神様を一番にできる可能性」を熟考し、もし「0%」だと気づいたら、ただちにイエス様に降参しましょう。そうすればイエス様がわたしたちをゆるし、きよめ、イエス様の愛をわたしたちに与えてくださいます。その結果、自分では選べなかった主の道を選び、自分では行えなかった愛のわざを行えるようになります。こうして今まで以上に家族を愛し、隣人を愛し、敵さえも愛する者へと変えられていくのです。あなたがもし、本当に家族を愛したいなら、本当に隣人を愛したいなら、まずイエス様のもとへ立ち返り、イエス様に「降参」しましょう。

(永田 令 牧師)