月別アーカイブ: 10月 2020

ふれ愛まつり中止のお知らせ

毎年11月3日に行われておりました
「ルーテルふれ愛まつり」(バザー)は、
新型コロナ感染拡大防止のため、
2020年度は中止とさせて頂きます。
コロナが収束したおりには是非お越しください。
お待ちしております。

神と人を愛せよ

「神と人を愛せよ」 2020/10/25 主日礼拝メッセージ

マタイ22:34-46

ある時、パリサイ人がイエス様に質問しました。「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」。つまり「我々はいかに生きるべきか?」ということです。彼らはイエス様を試すためにこの質問をしたのですが、これはすべての人間にとって、とても大切な問いです。

イエス様はお答えになりました。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)。ユダヤ人はこの言葉を子どもの頃から聞かされていましたし、この言葉を箱に入れて額や腕にくくりつけるほど大事にしていました。しかしそんな形式的なことではなく、自分の実生活が神様に喜ばれるように生きなさいということです。つまりこの戒めは、神様との関係だけでなく、周囲の人々との関係にも影響します。 (さらに…)

ことばは人となった

「ことばは人となった」 2020/10/18 主日礼拝メッセージ

マタイ22:15-22

ユダヤ人の中でも特にプライドが高いパリサイ人は、イエス様がたとえ話によって自分たちを非難していることに腹を立て、ある策を考えました。自分たちはローマ政府への納税に反対派ですが、賛成派のヘロデ党と手を組んでイエス様に質問します。「税金をカイザル(ローマ皇帝)に納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか」(マタイ22:17)。もしイエス様が「税金をおさめよ」と答えたら、「神よりも皇帝を崇拝した」と言ってパリサイ人が責め、「税金をおさめなくて良い」と答えたら、「ローマ政府に逆らう者」と言ってヘロデ党が責める‥という算段でした。

しかしイエス様は、カイザルの肖像が描かれた貨幣を示しながら「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」と答えました(22:21)。皇帝も神がお立てになった権威であり、皇帝に税金を納めることが、すなわち「神のものを神に返す」ことにもなるという意味です。 (さらに…)

私にそれは必要ない。でいいのですか?

「私にそれは必要ない。でいいのですか?」 2020/10/11 主日礼拝メッセージ

マタイ22:1-14

受難週のたとえ話の3回目です。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。」で始まり、招待されていたお客を呼んだが来なかったと語られます。それは選びの民ユダヤ人です。彼らはすでに一度招待され、それが旧約聖書にまとめられています。

彼らにとって神の招待は既に確定したことで、それで完結していました。むしろ一回目の招きの続きがあることに反発を覚えたのです。

王さまは「大通りに行って、出会った者たちをみな宴会に招きなさい。」としもべたちに命じました。それで、宴会場は客でいっぱいになりました。

ところが「そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。」とあります。

ここで言う礼服とは、イエス・キリストその人のことです。 (さらに…)