私にそれは必要ない。でいいのですか?

「私にそれは必要ない。でいいのですか?」 2020/10/11 主日礼拝メッセージ

マタイ22:1-14

受難週のたとえ話の3回目です。「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。」で始まり、招待されていたお客を呼んだが来なかったと語られます。それは選びの民ユダヤ人です。彼らはすでに一度招待され、それが旧約聖書にまとめられています。

彼らにとって神の招待は既に確定したことで、それで完結していました。むしろ一回目の招きの続きがあることに反発を覚えたのです。

王さまは「大通りに行って、出会った者たちをみな宴会に招きなさい。」としもべたちに命じました。それで、宴会場は客でいっぱいになりました。

ところが「そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。」とあります。

ここで言う礼服とは、イエス・キリストその人のことです。ローマ人への手紙で「主イエス・キリストを着なさい。」とある通りです。礼服を着ていない人はキリストの死を自分と無関係なこと、必要でないものとして受け入れなかったのです。それに対して王さまは「あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。」と言いました。

私たちには救いが必要です。神さまの助けが必要です。それはどれも自分で用意できないし、自前の衣服で代わりにできる物でもありません。私たちが神さまの前でするべきこと、それは「あなたが与えてくださろうとする救いが私には必要です」と認めることなのです。

(井上 靖紹 長老)