月別アーカイブ: 5月 2022

言葉は出来事の中に

「言葉は出来事の中に」 2022/5/22 復活節第6主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書14章23~29節

教会ではよく聖書の言葉のことを「みことば」と言います。「ことば」の上に「み」をつけて、「大事なお方からの言葉」であることを表しているのです。しかし実際のところわたしたちはどの程度「みことば」を大事にしているでしょうか?

「わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。」とイエス様はおっしゃいました(ヨハネ16:23)。イエス様のことを大事に思う人は、当然イエス様の言葉も大事にします。ちょうど、大切な人からのラブレターを何度も読み返し、一字一句を心に刻もうとするように。聖書は天地を造られ、わたしたち人間を造られた神様からわたしたちへの愛の言葉、ラブレターです。時に優しく、時に厳しく語られますが、すべてわたしたちに本当の喜びと幸せを与えるために語られたものです。しかしわたしたちは聖書のみことばよりも、テレビのコメンテーターの言葉や、「大安売り」等と書かれたチラシの言葉の方を重要視しているのではないでしょうか?

神様はそんなわたしたちのために、 (さらに…)

模範と贈り物

「模範と贈り物」 2022/5/15 復活節第5主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書13章31~35節

クリスチャンを名乗る人が戦争を始める、という現実を見る時、「クリスチャンとは何か?」「キリスト教会とは何か?」ということを考えさせられます。

イエス様は「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。」(34節)と言われました。愛し合うこと自体は「新しい」戒めではありません。旧約聖書の時代から「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」と教えられています(レビ19:18)。では「わたしがあなたがたを愛したように」、つまりイエス様のように自分の命を犠牲にすること、しかも家族や友人のためだけでなく、自分を憎む人のためにも命をささげること、これが「新しい」戒めなのでしょうか?いいえ、そうではありません。この「新しい」(カイノス)という言葉は「時間的に新しい」(ネオス)ではなく「質的に新しい」という意味の言葉です。今までとは全く異質の新しさです。

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そこで偉大な奇跡が起こった

「そこで偉大な奇跡が起こった」 2022/5/8 復活節第4主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書10章22~30節

「イエス・キリストが天から来られ、わたしたちの罪を背負って死なれ、よみがえられ、再び天から来られる。」・・人がこれを信じることが出来るのはまさに奇跡です。信仰は神様からのプレゼントです。

ユダヤ人たちは旧約聖書の時代から救い主(キリスト)を待ち望んでいました。しかしイエス様が救い主であるとは信じませんでした。彼らが待ち望んでいた救い主は、諸外国を力で打ち負かし、偉大なイスラエルの国を復活させてくれるリーダーでした。こういうリーダーは今も世界にたくさんいます。

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罪と恵みの旅路

「罪と恵みの旅路」 2022/5/1 復活節第3主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書21章1~14節

ヨハネ21章は、20章で終わるつもりだったヨハネが付け加えた章と言われています。この章は弟子たちがイエス様と歩いた3年間の総集編のような章です。
よみがえられたイエス様と再び会うために弟子たちは故郷ガリラヤへ行き、もと漁師のペテロはガリラヤ湖で漁を始めます。ところが一匹の魚も獲れませんでした。見ると岸辺に一人の人が立っています。それはイエス様でした。しかし弟子たちには (さらに…)