言葉は出来事の中に

「言葉は出来事の中に」 2022/5/22 復活節第6主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書14章23~29節

教会ではよく聖書の言葉のことを「みことば」と言います。「ことば」の上に「み」をつけて、「大事なお方からの言葉」であることを表しているのです。しかし実際のところわたしたちはどの程度「みことば」を大事にしているでしょうか?

「わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。」とイエス様はおっしゃいました(ヨハネ16:23)。イエス様のことを大事に思う人は、当然イエス様の言葉も大事にします。ちょうど、大切な人からのラブレターを何度も読み返し、一字一句を心に刻もうとするように。聖書は天地を造られ、わたしたち人間を造られた神様からわたしたちへの愛の言葉、ラブレターです。時に優しく、時に厳しく語られますが、すべてわたしたちに本当の喜びと幸せを与えるために語られたものです。しかしわたしたちは聖書のみことばよりも、テレビのコメンテーターの言葉や、「大安売り」等と書かれたチラシの言葉の方を重要視しているのではないでしょうか?

神様はそんなわたしたちのために、素晴らしい助け手を与えてくださいました。それが聖霊様です。「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」(14:26)。「すべてのこと」とは、自分がいかに神様や神様の言葉を大事にしない者であるかということと、そのような者を神様は愛してくださり、身代わりとして御子イエス様を十字架につけてくださったということです。イエス様を救い主として信じる人は、どんな罪びとであってもゆるされ、「小羊の命の書」に名前が記され、天の都に入ることが出来ます(黙示録21:27)。これらのことを聖霊様は思い起こさせてくださるのです。その時、三位一体の神様が自分の内におられることがわかり、大きな平安に包まれます。その平安は、たとえ目の前の状況がどれほど絶望的であっても、決してなくなることはありません。

ヘブル語で「言葉」と「出来事」は同じ「ダーバール」という言葉です。身の回りに起きる出来事はすべて神様の言葉。イエス様の死と復活という最大の出来事によって、すべての出来事は神様からの「愛の言葉」となりました。このことを受け入れる時、その人は周りの人々に慰めや勇気を与える働きが出来るようになるのです。

(永田 令 牧師)