月別アーカイブ: 12月 2020

この私に、なぜ?

「この私に、なぜ?」 2020/12/20 主日礼拝メッセージ

ルカ1:26-38

今年は世界中の人たちがコロナ禍でクリスマスを迎えています。こんなこと誰も想像できませんでした。しかしこのことは、クリスマスの一番大切な意味を静かに考える機会にもなったのではないでしょうか?

きょうの聖書の箇所はマリヤの受胎告知の場面です。「自分が救い主の母になる」と知らされた時、マリヤは「どうして私なの?まだ男の人を知らないし、名もない普通の女の子であるこの私に、なぜ?」と思ったことでしょう。

わたしたちも「なぜわたしに?なぜ我が家に?」と思うことがあります。 (さらに…)

天から遣わされた人

「天から遣わされた人」 2020/12/13 主日礼拝メッセージ

ヨハネ1:6-8、19-28

今年はコロナ禍で過ごすクリスマスです。でも、そのような大変な状況だからこそ、例年以上に慰めと喜びに満ちたクリスマスになると思います。マタイ1:23に「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)とある通り、大変な時こそイエス様はそばにおられます。

きょうの聖書はヨハネの福音書です。ヨハネは他の3つの福音書と比べてかなり独特な書です。いきなり「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1:1)という哲学的な言葉で始まります。
「ことば」とはイエス様を指しますが「出来事」という意味もあります。イエス様が語られた「言葉」と、イエス様が人類の罪を背負って死んで、よみがえられたという「出来事」。そのすべてが神様からわたしたちへの「言葉」なのです。
先週のマルコもそうでしたが、ヨハネもまず「バプテスマのヨハネ」について書き始めます。バプテスマのヨハネは「自分はキリスト(救い主)ではない」と明言しました。わたしたちも、「自分には人を助ける力はない。それが出来るのはイエス様だけ」という認識が必要です。同時にバプテスマのヨハネには「自分は神から遣わされた」という確固たる自覚がありました。イエス様を信じて洗礼を受けた者は誰でも「聖霊のバプテスマ」を受け、イエス様の弟子になります。すべての弟子はイエス様から遣わされた者です。だから「自分は人を救えない。救い主の証人として遣わされた者だ」という自覚が必要です。 (さらに…)

12月土曜クラブクリスマス

12月の土曜クラブはクリスマスをします!

三密をさけるため、2つの部屋にわかれてゲームをしたり、クリスマスのアニメを見たりします。食事はないけどジャイアントポッキーのプレゼントがあるよ。お金はいりません。ぜひみんなの元気なお顔を見せに来てね!

とき:12月19日(土)10:30~12:00
さんかひ:無料

荒野で叫ぶ者の声

「荒野で叫ぶ者の声」 2020/12/6

マルコ1:1-8

先週のアドベント第一主日から教会暦は新しい年度に入り、礼拝でおもに読まれる聖書日課も「マタイの福音書」から「マルコの福音書」に変わりました。マルコの特徴は「短い」ということです。マルコの冒頭、1章1節の言葉も「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」と、じつに単刀直入です。この「はじめ」という言葉には、「最初」という意味と共に「基本」、「原点」という意味があります。そして「福音」の意味は「喜びの知らせ」です。”神の子イエスキリストによる喜びの知らせを真にもたらす原点”・・。それはいったい何でしょうか?
冒頭の言葉に続いてマルコが書いたのは、バプテスマのヨハネの働きについてでした。バプテスマのヨハネは、イエス様が登場する少し前に荒野に現れ、「悔い改めよ」と説いた人です。紀元前700年頃、預言者イザヤが「荒野で叫ぶ者の声がする。」(イザヤ書40:3)と預言した人物です。 (さらに…)