月別アーカイブ: 10月 2022

神の前に立つ

「神の前に立つ」 2022/10/23 聖霊降臨後第20主日礼拝メッセージ

ルカの福音書18章9~14節

「自分は絶対に正しい。相手が間違っている」とお互いに決めつける時、そこに分断が生じます。この傾向がいま世界中に広がっています。「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された」(9)。当時「自分を義人だと自任していた」のはパリサイ人、自他ともに「罪びと」と考えられたのは取税人でした。今日のたとえの中で、パリサイ人は自分の行いを正当化し、取税人を見下すような祈りをしました。一方取税人は自分の胸をたたいて「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」(13)と祈りました。そして神様から「正しい人」とみなされたのはこの取税人の方だったという話です。

このパリサイ人は傲慢だったのがいけなくて、取税人は謙虚だったから神様から正しいとみなされたのでしょうか?そうではありません。 (さらに…)

どっちなんだい!?

「どっちなんだい!?」 2022/10/16 聖霊降臨後第19主日礼拝メッセージ

ルカの福音書18章1~8節

10月も半ばとなりました。あと1ケ月もすると教会暦の終わりを迎え、イエス様の再臨(=世界の終わり)について考える季節となります。

今日の箇所に「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」とあります(1)。これは祈りながら再臨を待ち、「主イエスよ、来てください(黙示録22:20)」と祈り続けなさい、ということです。

きょうの話でイエス様は、愛の神様をなんと「悪徳裁判官」にたとえました。血も涙もない裁判官でも、貧しいやもめの訴えが「うるさくて仕方がないから」その願いを聞き入れた。ましてや神様がわたしたちの祈りを放っておかれるはずがあろうか」ということです。 (さらに…)

行き先を変えよう

「行き先を変えよう」 2022/10/9

ルカの福音書17章11~19節 聖霊降臨後第18主日礼拝メッセージ

本日の箇所は、イエスさまが十人のツァラアト(重度の皮膚病)の患者と出会われた場面です。当時、ツァラアト患者は家族と別れて村はずれで暮らし、他の人と行き会えば「汚れている、汚れている」と言って、自分がツァラアトであることを知らせなければなりませんでした。

(さらに…)

からしだねほどの信仰

「からしだねほどの信仰」 2022/10/2 聖霊降臨後第17主日礼拝メッセージ

ルカの福音書17章5~10節

今年もあと3か月となりました。特に今年はコロナ禍に加えて、ロシアによるウクライナ侵攻で、例年以上に心が重いように感じます。旧約聖書ハバクク書1章2節「主よ。私が助けを求めて叫んでいますのに、あなたはいつまで、聞いてくださらないのですか。」これはウクライナの人々の叫びであり、私たちが様々な問題の中で叫ぶ言葉でもあると思います。

そんな時、よく教会でされがちなアドバイスが、「神様が答えてくださらないのは、あなたの信仰が足りないからだ」というものです。そう言われると、「その通りだ。私の信仰が足りないからだ」と、すべてのクリスチャンが思うでしょう。イエス様の12弟子もそうでした。 (さらに…)