月別アーカイブ: 12月 2022

ことばの力

「ことばの力」 2022/12/25 主の降誕主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書1章1~14節

クリスマスおめでとうございます。サッカーワールドカップの日本代表が残した数々の「ことば」は、日本中に勇気と感動を与えました。このように「ことば」には大きな力があります。

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」という哲学的な言葉でヨハネの福音書は始まります。14節に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とありますので、「ことば」とはイエス・キリストを指しています。なぜ使徒ヨハネはイエス様のことを「ことば」と表現したのでしょうか?

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神が我らと共に住む人

「神が我らと共に住む人」 2022/12/18 待降節第4主日礼拝メッセージ

マタイの福音書1章18~25節

2000年前のイスラエルでは婚約中も法律的には夫婦でした。 まだ夫婦生活はありません。ところが婚約者マリヤが妊娠したのです。ヨセフは深く悩んだ末、マリヤとの離縁を決心します。「どうしてこんなことに!?」とヨセフは思ったことでしょう。ところが夢にみつかいが現れて、「マリヤは聖霊によってみごもったのだから、安心してマリヤを迎えなさい」と告げたのでした。「もっと早く言ってあげてよ!」と言いたくなりますね。でもこれが神様にとって最善のタイミングだったのでしょう。

わたしたちも「どうしてこんなことに!?神様は何を考えているのか!?」と思ってしまう者です。 (さらに…)

荒野に道を開いた人

「荒野に道を開いた人」 2022/12/11 待降節第3主日礼拝メッセージ

マタイの福音書11章2~11節

バプテスマのヨハネが自分の弟子たちにことづけて、イエス様に「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」と尋ねました。この時、ヨハネはヘロデに捕えられ、牢屋に入れられていました。そのような苦難の中でヨハネの確信が揺らいできたようです。「イエス様こそ救い主である」と説いているのに、ちっとも自分を助けに来てくれない、という思いがあったのかもしれません。さらに (さらに…)

神の視点

「神の視点」 2022/12/4 待降節第二主日礼拝メッセージ

マタイの福音書3章1~12節

きょうの聖書はアドベントに必ず読まれるバプテスマのヨハネの箇所です。ヨハネはイエス様の半年前に生まれ、人々に救い主(キリスト)を迎える準備をさせた人です。ヨハネのことは既に紀元前700年頃、預言者イザヤによって預言されていました。またヨハネが生まれる時にも「(この子は)父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、整えられた民を主のために用意する」(ルカ1:17)と御使いが告げています。神様に目もくれなかった人々の心を立ち戻らせ、平和を愛する者にヨハネはするというのです。一体どうやってそんなことが出来るのでしょうか?

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