神が我らと共に住む人

「神が我らと共に住む人」 2022/12/18 待降節第4主日礼拝メッセージ

マタイの福音書1章18~25節

2000年前のイスラエルでは婚約中も法律的には夫婦でした。 まだ夫婦生活はありません。ところが婚約者マリヤが妊娠したのです。ヨセフは深く悩んだ末、マリヤとの離縁を決心します。「どうしてこんなことに!?」とヨセフは思ったことでしょう。ところが夢にみつかいが現れて、「マリヤは聖霊によってみごもったのだから、安心してマリヤを迎えなさい」と告げたのでした。「もっと早く言ってあげてよ!」と言いたくなりますね。でもこれが神様にとって最善のタイミングだったのでしょう。

わたしたちも「どうしてこんなことに!?神様は何を考えているのか!?」と思ってしまう者です。神様の深いお考えも知らずに、ただ文句や不満をぶつけてしまうのです。イエス様はまさにそのようなわたしたちを救い、神様と共にいるようにさせてくださるためにお生まれになりました。「イエス」という名前の意味は「神は救い」です。わたしたち人間の思いをはるかに超えて、神様ご自身がわたしたちを救ってくださるのです。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である)」(1:23)。この言葉は、イエス様誕生の700年以上前、預言者イザヤが南ユダで預言したものです。その当時、南ユダは、アラムと北イスラエルからの侵攻に恐れおののいていました。南ユダのアハズ王はアッシリアに助けを求めようとします。しかしイザヤは「アッシリアでなく神様に頼れ。」と告げます。その中でなされたのがこの「インマヌエル」預言です。「神よりも自分が正しい」と思ってしまうわたしたち人間のためにイエス様はお生まれになり、わたしたちの罪を背負って十字架で死なれ、よみがえられました。このお方を救い主として信じる人は、罪がゆるされ、永遠に神様と共にいる(インマヌエル)ことが出来るのです。それは「死んだあと天国に行ける」というだけの意味ではありません。神様はいつもわたしたちと共に住み、わたしたちの涙をぬぐい、様々な困難から助けてくださいます。今も、そして永遠に。「住む」という漢字は、まさに「人と主(神)が共にいる様子」を表しているのです。

(永田令牧師)