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私の信仰の始まり(3)〜神様からいただいた世界〜

教会に通い始めた私が、神様のことや聖書のことばをいつ頃から信じ始めたのかはよくわかりません。
でも、ほんの少し、ほんの短い間だけ、ちょっと信じていいことがあれば儲けもの。そのような今までの損得勘定の中に生まれた、ほんの小さな信仰から、神様の扉は私に大きく開かれていったのだと、今、固くそう信じています。
信仰が生まれて、その時生きていた自分の周りの殺伐とした世界観が大きく変わりました。
神様を信じ聖書を学ぶうち、私の生活態度も変えられていきました。
今まで、私の中で問題とされていたことがもはや問題ではなくなり、今まで気にも留めなかった事柄が私の中で懸案事項となっていきました。
神様の存在への疑心が、だんだん確信へと変わりました。
後から振り返ると、聖書の神様が与えてくださる私に対する応答はいつも的確でした。
そりゃあ神様なんだから当たり前です。
(さらに…)エンドロールには早すぎる
「エンドロールには早すぎる」2019/3/24
ルカ13:1~9
今日の福音書にはイエス様の時代のニュースが記録されています。ガリラヤ人が礼拝中にローマ兵によって殺された事件と、シロアムの塔が倒れて18人が亡くなった事故です。ともに現代でも起こりそうな出来事です。そしてこのニュースをイエス様に伝えた人は「彼らがこんな不幸な目にあったのは、隠れた罪があったからではないか?」と思っていました。どこか他人事で、人をさばく考え方です。でもこれはわたしたちの中にも見られる考え方です。
ところがイエス様は (さらに…)
私の信仰の始まり(2)〜神様の導きの中で〜

私は今、今に至るまでのすべてのことにおいて神様からの導きがあったのだとの思いがあります。
私が歩んできた道の、すべての選択の場面で、その時の私が心を開いて聖書の神のことばに耳を傾けようとする時があったなら、こんなに信じることに時間がかからなかったのかもしれません。
ただ、私が神様を信じることができるようになる、その神様からの時間は49年間だったのです。
「楽しいことが多かったですか?」と聞かれれば、私は「そうでなかったことの方が多いでしょう」と答えるでしょう。
「でも今は?」と聞かれれば、それは今神様を信じていない多くの人々にもわかるくらいに、私にとっては当たり前の答えでしょう。
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