月別アーカイブ: 1月 2021

時間と空間の始め

「時間と空間の始め」 2021/1/24 主日礼拝メッセージ

マルコ1:14-20

神の国について人々に宣べ伝えていたバプテスマのヨハネが国主ヘロデに捕らえられたのをきっかけに、イエス様が本格的に宣教活動を始められました。そこには神様のご計画がありました。今のわたしたちもコロナウイルスに捕らえられ、羽交い絞めにされているようです。「これさえなければもっと自由に活動できるのに」。しかしそのような制限の中でこそ、イエス様が本格的に働いてくださいます。そのことに期待し、あらためて聖書を読むことから始めましょう。

宣教活動の最初にイエス様が語られた言葉は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)でした。「時が満ち」というのは、機械的な時間(クロノス)が経過したという意味ではなく、「神様が定めた好機(カイロス)が来た」という意味です。また「神の国」というのは、物理的な国土や領地のことではなく、「神の支配」という意味です。わたしたちは日々、時間と空間の不自由さに縛られ、イライラしたり人を傷つけたり、神様を無視したりする者です。 (さらに…)

来て、そして、見なさい

「来て、そして、見なさい」 2021/1/17 主日礼拝メッセージ

ヨハネ1:43-51

阪神淡路大震災から今日で26年です。震災の時によく歌われた聖歌397番の歌詞に「揺れ動く地に立ちて 尚、十字架は輝けり」とあるように、たとえ不安や恐怖に揺れる時でも、わたしたちを救うためにイエス様が十字架で死なれ、よみがえられた、という事実は変わりません。それはコロナ禍の今も同じです。きょうも御言葉によってイエス様の十字架の輝きに目を向けて参りましょう。

地上で公に宣教活動を始められたイエス様が一番最初にされたこと、それは「弟子を集める」ことでした。宣教のために人手が必要だったというのもありますが、「イエス様ご自身が友を必要とした」というのが最大の理由です。 (さらに…)

そのまま通り過ぎますか?

「そのまま通り過ぎますか?」 2021/1/10 主日礼拝メッセージ

マルコ1:4-11

今日はイエス様が洗礼を受けられたことを記念する日曜日です。この出来事についてマルコは、「イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた」という事実だけを簡潔に書いています。実は、最初ヨハネはその務めを断り、イエス様と押し問答があったことがマタイの福音書には書かれていますが、マルコはカットしました。「自分はその役にふさわしくない」とか「あの人の方が向いている」などと言う必要はないということです。自分ではなく神様が素晴らしいからです。わたしたちの落ち度はすべてイエス様が十字架で背負ってくださいました。だから遠慮せずに、わたしたちに与えられた務めを果たして行きましょう。

それにしても、イエス様はなぜ洗礼をお受けになったのでしょうか?罪がなく、神の子であるイエス様にとって、悔い改めの洗礼など必要ないはずです。確かにイエス様ご自身には必要ありません。 (さらに…)

キリストと出会った陰陽師

「キリストと出会った陰陽師」 2021/1/3

マタイ2:1-12

明けましておめでとうございます。きょうは、お生まれになったキリストが公に姿を現された、しかもユダヤ人ではなく異邦人である「東方の博士たち」の前に現れたことを記念する「顕現主日」(公現祭)です。

この博士たちは、非常に明るい星を東の国で見つけました。これは去年の12月にもあった「木星と土星の大接近のせい」と考える人もいますが、もっと特別な、1回限りの現象であったと考えられます。この不思議な星の動きに博士たちが気づいたのは、彼らが「マゴス」(占星術の学者)だったからです。マゴスというのは平安時代に活躍した「陰陽師(おんみょうじ)」のような人です。占いによって敵を呪い殺したり、反対に敵の陰陽師に呪い殺されたり・・。 (さらに…)