時間と空間の始め

「時間と空間の始め」 2021/1/24 主日礼拝メッセージ

マルコ1:14-20

神の国について人々に宣べ伝えていたバプテスマのヨハネが国主ヘロデに捕らえられたのをきっかけに、イエス様が本格的に宣教活動を始められました。そこには神様のご計画がありました。今のわたしたちもコロナウイルスに捕らえられ、羽交い絞めにされているようです。「これさえなければもっと自由に活動できるのに」。しかしそのような制限の中でこそ、イエス様が本格的に働いてくださいます。そのことに期待し、あらためて聖書を読むことから始めましょう。

宣教活動の最初にイエス様が語られた言葉は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)でした。「時が満ち」というのは、機械的な時間(クロノス)が経過したという意味ではなく、「神様が定めた好機(カイロス)が来た」という意味です。また「神の国」というのは、物理的な国土や領地のことではなく、「神の支配」という意味です。わたしたちは日々、時間と空間の不自由さに縛られ、イライラしたり人を傷つけたり、神様を無視したりする者です。しかしそんなわたしたちを救い、自由にするために神の御子イエス様が人となられ、わたしたちの身代わりに十字架で死んで、よみがえられました。誰でも悔い改めてイエス様を信じる時、すべての罪がゆるされ、神の国を生きる者となり、また永遠の時を生きる者となります。その自由さは、どんなに体を羽交い絞めにされても決して失われることはありません。

マルコ1:17でイエス様はシモン・ペテロたちに言われました「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」。これはすべてのクリスチャンが職業を捨て、家族を捨てて出家し、伝道者になりなさい、と言っているのではありません。どのような職業であっても、どのような環境であっても、福音によって神様の国に生き、また神様と交わる永遠の時を過ごす人は、その姿を通して、地上とは違う時間と空間が存在することを人々に知らせるのです。そしてその生き方の鍵が「イエスキリスト」にあることを知っていただくのです。これこそ「人間をとる漁師」の働きです。

(永田 令 牧師)