そのまま通り過ぎますか?

「そのまま通り過ぎますか?」 2021/1/10 主日礼拝メッセージ

マルコ1:4-11

今日はイエス様が洗礼を受けられたことを記念する日曜日です。この出来事についてマルコは、「イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けた」という事実だけを簡潔に書いています。実は、最初ヨハネはその務めを断り、イエス様と押し問答があったことがマタイの福音書には書かれていますが、マルコはカットしました。「自分はその役にふさわしくない」とか「あの人の方が向いている」などと言う必要はないということです。自分ではなく神様が素晴らしいからです。わたしたちの落ち度はすべてイエス様が十字架で背負ってくださいました。だから遠慮せずに、わたしたちに与えられた務めを果たして行きましょう。

それにしても、イエス様はなぜ洗礼をお受けになったのでしょうか?罪がなく、神の子であるイエス様にとって、悔い改めの洗礼など必要ないはずです。確かにイエス様ご自身には必要ありません。しかしわたしたち人間のために必要でした。イエス様はわたしたちを罪の束縛から解放するために、罪びとと同じようになられたのです。そしてわたしたちの身代わりに十字架で死なれ、よみがえられました。それによって、わたしたちは神様の子どもとして生まれ変わりました。それを実現するのが洗礼です。イエス様を救い主として信じ、洗礼を受けた人には、目には見えませんが今日のイエス様と同じように天から聖霊がくだっており、また父なる神様から「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1:11)という声をかけていただいているのです。

天の父なる神様は、愛する子イエス様とわたしたち人間を比べた時に、イエス様よりもわたしたちの方を大事にしてくださいました。それで御子を犠牲として十字架につけ、わたしたちが滅びの中に転落することから救ってくださったのです。そのおかげでわたしたちは永遠に救われました。

この事実を知りながら、あなたは知らん顔で通り過ぎますか?そうではなく、神様の愛に感謝して、自分に与えられた務めを喜んで行って参りましょう。「自分はその役にふさわしくない」などと言わないで。

(永田 令 牧師)