月別アーカイブ: 12月 2023

道を整えて生きる

「道を整えて生きる」 2023/12/10

マルコの福音書1章1~8節

  聖書日課の旧約イザヤ書40:6-8では、私たちは野の花のようなものであり、美しさに輝くひと時もありますが、神様と比べることができないほどのはかなく弱いものだと言います。その永遠の神様に対して、いつも思う疑問は、なぜ神様は、この残酷な世界に介入されないのかということです。しかし、そう思うことには誰もが陥る誤解があります。この世界を罪に満ちた世界にしたのは神様ではなく、アダム以来の内なる罪に動かされ、神様から与えられた自由を具体的に様々な罪悪を行うためのものにしたのは人間自身です。 (さらに…)

クリスマスおめでとう!

「クリスマスおめでとう!」 2023/12/24

ルカの福音書1章26~38節

 クリスマスおめでとうございます。きょうの聖書箇所は、クリスマスの劇や絵画でおなじみの「マリヤの受胎告知」の場面です。「アヴェ・マリヤ」(「おめでとう、マリヤ」の意)という曲も、きょうの聖書の28節がモチーフとなっています。しかしこの「おめでとう、マリヤ」というのは 、「あなたはキリストの母として選ばれた聖母です。だからおめでとう。」という意味ではありません。マリヤは私たちと同じように、罪を持った普通の女性です。マリヤが選ばれたのは彼女が特別だからでも聖女だからでもなく、ただ一方的な神様の選び、神様の恵みです。 (さらに…)

あかしするために

「あかしするために」 2023/12/17

ヨハネの福音書1章6~8、19~28節

 バッハが現在のような「音楽の父」としての地位を確立したのは、後の時代にメンデルスゾーンがバッハを人々に紹介したからと言われています。

 イエス様が来られた時も、当時の人々は誰もイエス様のことを知りませんでした。そのイエス様を人々に紹介したのがバプテスマのヨハネです。イエス様を紹介するにあたり、バプテスマのヨハネは徹底して「私はキリストではありません」と言明しました(20)。当時、ヨハネの名はユダヤ全土に知れ渡り、国会議員級の人々までヨハネのことを調べにエルサレムからやって来たほどでした。「ある意味、わたしも救い主(キリスト)と言えるかも」とヨハネが思ったとしても不思議ではありません。そういう誘惑は誰にでもあります。しかしヨハネは「自分はキリストではなく、声だ」と言いました(23)。 (さらに…)

『おわり』から『はじめる』

「『おわり』から『はじめる』」 2023/12/3

マルコの福音書13章24~37節

 今日からアドベント(待降節)。イエス様が来られるのを待ち望む期間に入りました。教会暦では今日は1年の「はじめ」の日です。ところが今日の聖書は「世界のおわり」の箇所です。アドベントはイエス様の誕生を待つ期間であるだけでなく、イエス様がもう一度地上に来られる「再臨」を待つ期間でもあるからです。イエス様の再臨で、この世界は終わります。こうして年度の「はじめ」に、「おわり」のことを学ぶことで、わたしたちは「今年も一日一日を大切に生きよう」という思いを新たにすることが出来るのです。

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