月別アーカイブ: 10月 2023

お葬式が結婚式

「お葬式が結婚式」 2023/10/15

マタイの福音書22章1~14節

  今日のたとえ話は「王子の結婚披露宴」というたいへん縁起の良いお話です。ところが途中から非常にシリアスな展開になります。王が招待客たちに告げます。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」(4)。ワクワクするような言葉ですが、それくらい大きな喜びと幸せが天国にはあるのです。もちろん天国に本物のビフテキがあるという意味ではありません。それくらい豊かな霊的ごちそうがあるということです。じつはこの霊的なごちそうを、わたしたちはすでに「聖餐式」で味わっています。

しかし、この神様からの霊的なごちそうよりも、目に見える財産や実際のごちそうの方に魅力を感じるのがわたしたち人間です。 (さらに…)

新しい礎石の上で生きる

「新しい礎石の上で生きる」 2023/10/8

マタイの福音書21章33~46節

  今日の聖書日課にありますように、イザヤ書で、また詩篇で言うように、丹精込めて神様が創られ世話をしてくださったぶどうの木は、私たちにとってはこの世界のことであり、また、それぞれの人生のことでもあります。今日のマタイ21:33-41では、イエス様はぶどう園のたとえを言われます。ぶどう園はイスラエルの民であり、主人は神様で、農夫は指導者たちをたとえています。しかし、私たちにとっても人間としての在り方が鋭く問われます。 (さらに…)

あなたは神のコイン

「あなたは神のコイン」 2023/10/22

マタイの福音書22章15~22節

 今日の聖書箇所に「税金を納めるか?おさめないか?」という問題が出て来ます。私たちの感覚では税金を納めるのが当然ですが、イエス様の時代のイスラエルでは話はもっと複雑でした。当時のイスラエルがローマ帝国の支配下にあったからです。イスラエル人の中には「親ローマ派」と「反ローマ派」がありました。「親ローマ派」は当時イスラエルの政権を握っていたヘロデを支持する「ヘロデ党」等で、「反ローマ派」はパリサイ派や熱心党の人たちでした。「自分たちは神に選ばれた国民である。異邦人であるローマに仕えるのはおもしろくない」というわけです。そんな両者が「イエスを陥れる」という共通の目的のために手を結びました。 (さらに…)

自分以外、無?

「自分以外、無?」 2023/10/1

マタイの福音書21章23~32節

  今年は「謝罪会見」の報道が多いように思います。しかしその謝罪の言葉が空虚で、自分を守ろうとしているようにしか聞こえないものもありました。

 イエス様は、全人類の罪を背負って十字架にかけられるため、エルサレムにやって来られました。そして神殿で商売していた人々を追い出したり、境内で人々に教えを説いたりされました。すると当時の宗教指導者であった祭司長や長老たちがやって来て「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」と尋ねました(23)。それに対してイエス様は「ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか」(25)と逆に質問されました。彼らは内心「人から」と思っていましたが、ヨハネを信じる群衆の反発を恐れて「わからない」と答えました。まるで謝罪会見のように空虚な言葉です。彼らは「真実」よりも「自分」が大事だったのです。しかし私たちにもそのような所があります。人は誰でも「自分が中心」「自分以外は無」と考える者だからです。

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