月別アーカイブ: 9月 2020

日照りの時は涙を流し

日照りの時は涙を流し」 2020/9/20 主日礼拝メッセージ

マタイ20:1-16

きょうのたとえ話は、ぶどう園の主人が収穫期に労務者を雇う話です。主人は朝6時に1日1デナリ(約1万円)の約束で労務者を雇いました。同じように朝9時、正午、午後3時、そして夕方5時にも人を雇いました。ユダヤの終業時間は夕方6時ですから、最後の人は1時間しか働きませんでした。ところが主人は彼にも1デナリ渡したのです。一方、朝から働いた人も同じ1デナリでした。確かに最初からそういう約束でしたが、その人は不平を言いました。「わたしは日照りの中で12時間も働いたのに、最後の者と同じか!」わたしたちもその不平に同感します。それくらいわたしたちの中に「たくさん働けば報いがある。しかし働きのない者は報いを受けるべきではない」という考え方が染みついているからです。

しかしきょうのたとえ話では、たくさん働いた人、つまりたくさん善い行いをした人も、ほとんど働かなかった人も、受け取った額は同じでした。 (さらに…)

我らがゆるすほどに

「我らがゆるすほどに」 2020/9/13

マタイ18:21-35

イエス様はわたしたちに「やられたらやり返す」のではなく、「七度を七十倍するまでゆるしなさい」と教えておられます(マタイ18:22)。これは「490回」という意味ではなく「無限にゆるしなさい」という意味です。

続いてイエス様はあるたとえ話をされました。王様から1万タラントの借金をしていた男がいました。1万タラントというのは16万年分の給料に相当する莫大な額です。これは「人間が神様に対して犯している罪の大きさ」を表しています。わたしたちは、命や家族や必要なすべてのものを神様からいただいています。それなのに感謝もせず、神様が命じておられる「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」という戒めも守っていないからです。

この男は王の前にひれ伏して猶予を願います。すると王様は彼をあわれみ、なんと借金を帳消しにしてくれたのです。 (さらに…)

教会のモットー

「教会のモットー」 2020/9/6 主日礼拝メッセージ

マタイ18:15-20

コロナ禍によるイライラのせいか、最近ネットでの誹謗中傷等が問題となっています。これらの要因は「相手の事を自分の身になって考えられない」人が増えているからだと思います。聖書は「あなたの隣人(他人)をあなた自身のように愛せよ」(ローマ13:9)と教えています。人を傷つけたり苦しめるのでなく、むしろその人の必要にこたえ、助けることを神様は望んでおられるのです。

しかし教会員同士であっても、相手が傷つくことを言ったり、したりしてしまうことがあります。きょうの福音書は「(教会の)兄弟があなたに罪を犯したら、まず二人だけのところで説得しなさい。それでも聞かない場合は、他に一人か二人を連れて行きなさい。それでも聞かない場合は教会に告げなさい。」と具体的に勧めています。これには大きなエネルギーを要します。しかしそれが本当に神様の御言葉に沿った忠告ならすべきである、と聖書は語ります。「隣人を自分自身のように愛する」というのはそれくらい難しいことなのです。

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邪魔をするな!

「邪魔をするな!」 2020/8/30 主日礼拝メッセージ

マタイ16:21-28

先週の箇所で、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」とイエス様に告げ、イエス様も喜んで「あなたは幸いです」とペテロに答えました。ところが今日の箇所ではペテロは一転して「サタン、わたしの邪魔をするものだ」とイエス様から言われてしまうのです。いったい何があったのでしょうか?

23節の「邪魔」という言葉は、ギリシャ語の「スカンダロン」という言葉で、
「つまづき」「妨げ」「わな」などの意味があります。イエス様がキリスト(救い主)として必ず通らなければならない道を、ペテロは邪魔したのです。それは十字架と復活の道です。「わたしはエルサレムへ行って、苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならない」(マタイ16:21)と言われた時、
ペテロはイエス様をいさめながら「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(16:22)と言いました。それでイエス様から「邪魔をするな!」と言われてしまったのです。ペテロが期待していた「キリスト」とは、自分を敵から救い、空腹を満たし、幸せを与えてくれる存在でしかなかったのです。 (さらに…)