我らがゆるすほどに

「我らがゆるすほどに」 2020/9/13

マタイ18:21-35

イエス様はわたしたちに「やられたらやり返す」のではなく、「七度を七十倍するまでゆるしなさい」と教えておられます(マタイ18:22)。これは「490回」という意味ではなく「無限にゆるしなさい」という意味です。

続いてイエス様はあるたとえ話をされました。王様から1万タラントの借金をしていた男がいました。1万タラントというのは16万年分の給料に相当する莫大な額です。これは「人間が神様に対して犯している罪の大きさ」を表しています。わたしたちは、命や家族や必要なすべてのものを神様からいただいています。それなのに感謝もせず、神様が命じておられる「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」という戒めも守っていないからです。

この男は王の前にひれ伏して猶予を願います。すると王様は彼をあわれみ、なんと借金を帳消しにしてくれたのです。わたしたちも、自分の努力や行いで罪を帳消しにしてもらおうとするなら、何万回生まれ変わっても出来ません。ただ神様の一方的な恵みとあわれみによってのみ、ゆるされます。わたしたちの罪の負債は全部イエス様が背負ってくださり、罰として十字架で死んでくださいました。それによってわたしたちの罪は帳消しにされたのです。

ところがこの男は、1万タラントをゆるしてもらったのに、友人に貸した100デナリをゆるせず、友人を牢に入れてしまいました。100デナリは100日分の給料です。先ほどの16万年分に比べたら微々たるものです。これは「人間が人間に対して犯す罪の小ささ」を表しています。この程度の額を彼がゆるせなかったのは、「自分が本当に1万タラントを免除された」という自覚がなかったからだと思います。わたしたちも、どんなにゆるせないことでも、「自分が神様から永遠の罰をゆるされた」という自覚が本当にあれば、相手をゆるせるはずです。

わたしたちは、福音の御言葉と、聖餐式と、「主の祈り」を祈ることによって、日々神様のゆるしの大きさを再確認する必要があります。それによってわたしたちは人をゆるせるようになって行き、その生き方を見て周囲の人々も、「神の国」とはどういうものかを知るようになるのです。

(永田令 牧師)