月別アーカイブ: 4月 2020
いつの間にか
「いつの間にか」 2020/4/26
ルカ24:13-35
イエス様が復活された日の午後、2人の弟子がエルサレムからエマオに向かっていました。彼らは復活を信じてもいず、喜んでもいませんでした。むしろ困惑と不安の中で、このことを議論しながら歩いていたのです。まるでコロナウイルスのことで困惑と不安の中にいるわたしたちのように。
しかしそんな2人のところにイエス様が近づいて来られました。しかもすぐにご自身を明らかにせず、「いつの間にか」彼らと一緒に歩いておられたのです。そして聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされました。2人は肉眼でイエス様を見たからではなく、御言葉によって心が燃やされていきました。
これと同じ方法、すなわち聖書の御言葉によって、今もわたしたちはイエス様と出会うことができます。わたしたちの罪のために死んでよみがえり、わたしたちにいのちを与えてくださる救い主イエス様と、わたしたちは新たに、いや既に出会っていたことに気づくのです。
(さらに…)わたしにとどまりなさい
「わたしにとどまりなさい」 2020/4/19
ヨハネ20:19-31
イースターから一週間後の夕方、弟子たちは集まっていました。イエスさまを知らないと言ったペテロ、他の弟子たちを出し抜いたヨハネとヤコブ等、皆お互いのことを信じられないと思っていた連中でした。それなのになぜ彼らは集まっていたのでしょうか?それはイエスさまの記憶です。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」これらのイエスさまの言葉にひかれて、イエスさまにとどまるために、愛すべき相手を求めて、互いに集まったのです。彼らは皆、イエスさまを見捨てて逃げた卑怯者でした。イエスさまの愛に留まりたいと願いながら、実際の行動ではイエスさまを裏切っているという矛盾を抱えていました。それは彼らの大きな心の傷でした。現在の私たちも同じです。 (さらに…)
世界には希望がある
「世界には希望がある」 2020/4/12
マタイ28:1-10
イースター(復活祭)おめでとうございます!
行き先のわからない電車に乗ると、誰でも不安を感じます。それと同じように、「死んだらどうなるのか」「死んだらどこへ行くのか」がわからない間は、どんなに一生懸命仕事をしても、どんなに楽しく遊んでも、心は不安です。
しかしクリスチャンは、「わたしは天国へ行く。なぜならイエス様がわたしの罪を洗い清めてくださったから」という確信があるので、心は平安です。イエス様の復活の出来事を記した今日の福音書(マタイ28章)に「恐れてはいけません。」という言葉が2回出てきます。それは「もはや死を恐れる必要はない」という意味です。人はなぜ死を恐れるのでしょうか? (さらに…)
いっしょに歩こう
「いっしょに歩こう」 2020/4/5
マタイ21:1-11
今日は受難主日。今週の金曜日にイエス様はわたしたち人間の罪を背負って十字架におかかりになります。そのためにイエス様は今日、エルサレムに入られました。その時イエス様は「ロバの子」に乗られました。この箇所は受難主日と、クリスマス前のアドベントにも読みます。イエス様の誕生は、イエス様の死と密接につながっているのです。イエス様の「死」こそ、イエス様の「使命」です。
マタイ21:9「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」この賛美は、ルーテル教会の聖餐式でよく歌われる賛美です。イエス様が十字架でご自身をささげるためにお生まれになり、死の3日目に復活された。そのことは昔の出来事ではなく、今も御言葉と聖餐式によって現実に起こっている出来事です。そのことを今日もう一度覚えましょう。
それにしても、 (さらに…)