わたしにとどまりなさい

「わたしにとどまりなさい」 2020/4/19

ヨハネ20:19-31

イースターから一週間後の夕方、弟子たちは集まっていました。イエスさまを知らないと言ったペテロ、他の弟子たちを出し抜いたヨハネとヤコブ等、皆お互いのことを信じられないと思っていた連中でした。それなのになぜ彼らは集まっていたのでしょうか?それはイエスさまの記憶です。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」これらのイエスさまの言葉にひかれて、イエスさまにとどまるために、愛すべき相手を求めて、互いに集まったのです。彼らは皆、イエスさまを見捨てて逃げた卑怯者でした。イエスさまの愛に留まりたいと願いながら、実際の行動ではイエスさまを裏切っているという矛盾を抱えていました。それは彼らの大きな心の傷でした。現在の私たちも同じです。しかし、彼らの前にイエスさまは現れ、「平安があなたがたにあるように」と言われました。それによって彼らの矛盾は解消されました。1週間前イエスさまに会えず、心に傷を抱えていたトマスの傷もいやされました。

私たちも皆、心に傷を負うものです。イエスさまの十字架による手の釘の跡、脇の槍の傷跡は、私たち自身の傷です。イエスさまは私たちの罪を負って、私たちの代わりにその傷を受けたからです。そして、その傷を負いながら復活されたイエスさまは、私たちの傷を問題としないことを約束し、私たちを癒し、赦し、命を得させてくださいます。そしてイエス様は弟子たちに、神の神殿としての立場と、使徒としての高い権威をお与えになりました。卑怯者の弟子たちが使徒とされた。まさに奇跡です。

イエスさまは、わたしたちをも使徒として引き上げてくださいます。コロナウイルスで礼拝の集まりが中止されても、神さまの私たちに対するサービスは中止されることはありません。癒された私たちは神さまの証人であり、使徒なのです。 私たちはとどまりましょう。イエスさまの御言葉に。神さまの愛に。そして 互いの愛に。

(井上 靖紹長老)