世界には希望がある

「世界には希望がある」 2020/4/12

マタイ28:1-10

イースター(復活祭)おめでとうございます!

行き先のわからない電車に乗ると、誰でも不安を感じます。それと同じように、「死んだらどうなるのか」「死んだらどこへ行くのか」がわからない間は、どんなに一生懸命仕事をしても、どんなに楽しく遊んでも、心は不安です。

しかしクリスチャンは、「わたしは天国へ行く。なぜならイエス様がわたしの罪を洗い清めてくださったから」という確信があるので、心は平安です。イエス様の復活の出来事を記した今日の福音書(マタイ28章)に「恐れてはいけません。」という言葉が2回出てきます。それは「もはや死を恐れる必要はない」という意味です。人はなぜ死を恐れるのでしょうか?「生前の行いや言葉に対して、何か裁きがあるのではないか?」という予感がするからです。事実、聖書には「人間は、一度死ぬことと死後にさぱきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)と書かれています。しかしその裁きを、神の子のイエス様が代わりに受けてくださいました。それが十字架です。大震災の時、「あれは人間への天罰である」と言った人たちがいたようですが、そうではありません。人間への天罰は既にイエス様が受けてくださいました。「イエス様の十字架はわたしのためだった」と信じて洗礼を受ける時、その人はイエス様と共に一度死に、イエス様と共に復活します。もはや裁きを受ける必要のない者に復活します。

Oh Happy Day  When Jesus washed my sins away.
(ああ、なんて幸せな日だろう。キリストがわたしのあらゆる罪を洗い流してくださった。)
 -ゴスペル「Oh Happy Day」より -

今も失敗や悩みがあるわたしたちですが、神様の目から見たら、この歌のように既に真っ白にされています。そして自分のためだけではなく、他の人のために生きる者に変えられていきます。わたしたちがそのように生きる時、世界は希望を見出します。今、世界は試練の中にありますが、人間のために死んでよみがえられたイエス様にこそ希望があります。そしてこの希望は、何が起こっても決して消えることがないのです。

(永田 令牧師)