月別アーカイブ: 8月 2020

教会の土台

「教会の土台」 2020/8/23 主日礼拝メッセージ

マタイ16:13-20

イエス様と弟子たちは、いつも活動していたガリラヤ湖周辺を離れ、ずっと北にあるピリポ・カイザリヤという場所に行きました。そこにはギリシャ神話に登場する「パン」という神(パニックの語源となっている)の神殿がありました。
その場所でイエス様は「人々は人の子(イエス様)をだれだと言っていますか。」とお尋ねになりました。弟子たちは口々に「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」といった預言者たちの名前を挙げました。この人たちは大変立派な信仰者でしたが、普通の人間でした。感情の起伏が激しく、過ちも犯す。それが人間です。その人間が作った神々も同じようなものです。たとえばピリポ・カイザリヤで祭られていた「パン神」も、起伏が激しい上に、好色な「神」でした。そしてイエス様のことも「所詮そのような人間の域を出ない存在だ」、と世間の人々は思っていたのです。
しかしペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白しました。 (さらに…)

主よ。お助けください

「主よ。お助けください」 2020/8/16 主日礼拝メッセージ

マタイ15:21-28

イエス様は、カナン人の女の人に「立派な信仰」と言われました。私たちの信仰は、神様からいただいたものです。なので、私たちの信仰を見るときに「ちっぽけな信仰」ではなく、神様からいただいた「立派な信仰」であることを覚えましょう。そして、この聖書箇所から「立派な信仰とは何か」を3つのポイントで見ていきましょう。 (さらに…)

信仰の落とし穴

「信仰の落とし穴」 2020/8/9 礼拝メッセージ

マタイ14:22-33

先週は、イエス様が5つのパンと2匹の魚だけで5000人以上の人々を満腹にしたという箇所でした。きょうはその直後の出来事で、「イエス様が湖の上を歩かれた」という奇跡です。確かに不思議な出来事ですが、先週の奇跡のスケールの大きさに比べたらやや地味な印象です。ところが4つの福音書のうち3つが、この出来事を記しています。いったいなぜでしょうか?

先週の偉大な奇跡を見て、群衆はイエス様を王様に担ぎ上げようとしました。自分たちが得をするからです。そんな雰囲気を弟子たちからも感じたイエス様は、急遽弟子たちを舟に乗せ、群衆から引き離しました。大きな奇跡を体験しても、それが神様への深い信仰に結びつかず、むしろ自分たちの自慢のようになってしまう。だから、人が水の上を歩いているのを見た程度で、今度は恐れおののいてしまうのです。旧約聖書に出てくるエリヤも、信仰の大勝利から、一転して、恐怖のどん底にたたき落されました。これが人間ではないでしょうか?

しかしイエス様は、 (さらに…)

あなたがたの手で

「あなたがたの手で」 2020/8/2 礼拝メッセージ

マタイ14:13-21

きょうは平和の主日です。終戦の5年後に姫路教会は誕生しました。それまで武力で敵を打ち負かすことだけを教えられてきた人々の心に、聖書は全く新しい価値観を与えたことでしょう。

今日の福音書は、5つのパンと2匹の魚で5000人以上の人々が満腹したという有名な奇跡です。珍しく4つの福音書すべてに記されている奇跡です。その日イエス様は、ひとり寂しい所へ行かれました。同志であったバプテスマのヨハネが処刑されたからです。そこへ癒しを求めて群衆が集まってきます。普通なら「今日は勘弁してくれ」と言いそうなところです。 (さらに…)