月別アーカイブ: 9月 2021

武器ではなく花束を

「武器ではなく花束を」 2021/9/19 聖霊降臨後第17主日礼拝メッセージ

マルコ9:30-37

今日の箇所は、イエス様が間もなく殺されて、三日後に復活するということを、先週に続いて2度目に弟子たちに告げられた箇所です。これはとても大事な話でしたので、イエス様は他の人々に知られずに、静かな状況で弟子たちに話されました。しかし弟子たちはその意味を理解せず、それについて尋ねることもせず、挙句の果てに「自分たちの中で誰が一番偉いか」という議論まで始めました。この「誰が一番偉いか」論争は、 (さらに…)

一言の重さ

「一言の重さ」 2021/9/12 聖霊降臨後第16主日礼拝メッセージ

マルコ8:27-38

イエス様と弟子たちはピリポ・カイザリヤという所にやって来ました。ここでイエス様は弟子たちに「人々はわたしをだれだと言っていますか」(27節)と尋ねました。これはわりと気楽に答えられる質問です。弟子たちは口々に「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます」と答えました(28節)。すると今度は「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」とイエス様はお尋ねになりました(29節)。これはとても重い問いかけであり、その答も非常に重みを持ちます。この質問にペテロはこう答えました。「あなたは、キリストです」(29節)。・・じつに短い、たった一言の言葉です。しかしこの「あなたはキリストです」という言葉こそ、その人自身と、その周りの人々の運命を変えるほどの重い一言なのです。なぜなら (さらに…)

その通りです。でも・・・

「その通りです。でも・・・」 2021/9/5 聖霊降臨後第14主日礼拝メッセージ

マルコ7:24-37

イエス様と弟子たちがツロの地方へ行きました。そこは現在のレバノンやシリアにあたり、ユダヤ人にとっては「外国」でした。今まで多くの人にパンを与えたり病気を治したりと、休みなく活動されたので、「父なる神様とゆっくり交わりたい」と思って、イエス様は外国まで来られたのではないでしょうか?ところがツロにもイエス様のうわさは広がっていました。この地に住むスロ・フェニキアの女性が、娘から悪霊を追い出してもらおうと、イエス様のところへやってきました。ところがイエス様は意外にも冷たい態度を取られます。イエス様も当時のユダヤ人同様、外国人を差別していたのでしょうか?いいえそうではありません。神様がユダヤ人を選んだのは、全世界を救うためのパイプ役としてであって、決してユダヤ人が優秀だったからではありません。ユダヤ人はそこを誤解し、神様に対しても外国人に対しても傲慢な思いを持つようになったのです。わたしたちも特別に優秀だったから信仰に導かれたのではなく、他の人々を救うパイプ役として神様が一方的に選んでくださったのだ、ということを忘れないようにしましょう。

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愛は外(そと)から

「愛は外(そと)から」 2021/8/29 聖霊降臨後第13主日礼拝メッセージ

マルコ7:1-8、14-15、21-23

イスラエルの北のはずれにあるガリラヤのイエス様の所に、エルサレムからパリサイ人や律法学者たちがやって来ました。何のためでしょうか?それはイエス様の言動や行動を怪しみ、直接注意するためでした。

さっそく彼らは、イエス様の弟子たちが「洗わない手」でパンを食べるのを見て、イエス様を非難しました。それは衛生上の理由ではなく、宗教上の理由でした。「洗わない手」は「汚(けが)れた手」であり、そんな手で食事することを神様は忌み嫌われる、と、昔からユダヤでは言い伝えられていたのです。しかしそれは聖書に書かれていない、人間が勝手に作り出した決まりでした。彼らは一見神様への敬虔な態度を装いながら、じつは神様よりも自分たちの方を上に置いていたのです。そんな彼らをイエス様は「偽善者」と呼びました(7:6)。そういう偽善者のようなところが、わたしたちにもあるのではないでしょうか?

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