武器ではなく花束を

「武器ではなく花束を」 2021/9/19 聖霊降臨後第17主日礼拝メッセージ

マルコ9:30-37

今日の箇所は、イエス様が間もなく殺されて、三日後に復活するということを、先週に続いて2度目に弟子たちに告げられた箇所です。これはとても大事な話でしたので、イエス様は他の人々に知られずに、静かな状況で弟子たちに話されました。しかし弟子たちはその意味を理解せず、それについて尋ねることもせず、挙句の果てに「自分たちの中で誰が一番偉いか」という議論まで始めました。この「誰が一番偉いか」論争は、イエス様が3度目の受難予告をされた時にも起こっています。彼らは「イエス様が王座に着いたら、誰がナンバー2になるのか」が、気になって仕方なかったのです。
自分が人よりも高く評価されたら上機嫌になり、誰かが自分よりも高く評価されたら面白くない、という性質を誰もが持っています。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」(ヤコブの手紙4:1)。

人間の中に渦巻くねたみや嫉妬心。これこそあらゆる戦いや戦争のもとです。そしてこの手紙は、ヤコブがクリスチャンに宛てて書いたものですから、こうしたねたみや嫉妬心はキリスト教会にもあるのです。

イエス様の十字架と復活という、何よりも大切なこの出来事が、ただの 記号のようになっていないでしょうか。もう一度、自分の中にもねたみや嫉妬心があることを認め、だからこそイエス様が死んでよみがえってくださった、イエス様の十字架と復活は、まさにこのわたしを救うためだったのだ、ということを、子どものように素直に受け入れましょう。「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです」(マルコ9:37)。その時わたしたちから「邪悪な行い」(ヤコブ3:16)が減っていき、代わりに「純真、平和、寛容、温順」(同3:17)が、イエス様から与えられます。

バンクシーの「花束を投げる男」という壁画のように、わたしたちもイエス様の十字架と復活を信じて、難しい相手に、武器ではなく花束を贈りましょう。それによって、自分も相手もイエス様を仰ぎ見る、そのような信仰生活を歩んで参りましょう。

(永田 令 牧師)