一言の重さ

「一言の重さ」 2021/9/12 聖霊降臨後第16主日礼拝メッセージ

マルコ8:27-38

イエス様と弟子たちはピリポ・カイザリヤという所にやって来ました。ここでイエス様は弟子たちに「人々はわたしをだれだと言っていますか」(27節)と尋ねました。これはわりと気楽に答えられる質問です。弟子たちは口々に「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます」と答えました(28節)。すると今度は「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」とイエス様はお尋ねになりました(29節)。これはとても重い問いかけであり、その答も非常に重みを持ちます。この質問にペテロはこう答えました。「あなたは、キリストです」(29節)。・・じつに短い、たった一言の言葉です。しかしこの「あなたはキリストです」という言葉こそ、その人自身と、その周りの人々の運命を変えるほどの重い一言なのです。なぜならそれ以外の答えでは、わたしたちが永遠に滅びるしかない罪びとであるという事実は変わらないからです。

罪というのはギリシャ語のハマルティアで、「的外れ」という意味です。「的」、すなわち、わたしたちを創造された神様のもとから外れている状態、これが罪です。この状態のままでどんなに良いことをしても解決にはなりません。そしてこの状態から「的」に戻るために、わたしたち自身は何も差し出すことが出来ません。でも、そんなわたしたちの代わりにイエス様がいのちを差し出してくださいました。誰でも自分の罪を自覚し、心からイエス様を救い主と信じて「あなたはキリストです」と告白するなら、その人は救われ、神様のもと(的)に帰ります。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)。

こうして自分の罪を認めて「あなたはキリストです」と告白する人は、自分自身も人のための苦しむことが出来、その言葉によって疲れた者を励ます人となります。「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え・・」(イザヤ50:4)。

人は舌(言葉)によって、他者を傷つけることも出来れば、励ますことも出来ます。イエス様の十字架によって、わたしたちの舌は誰かを励ますためのものに変えられました。そのことを信じて、この舌を正しく用いましょう。そしてそのために祈りましょう。

(永田 令 牧師)