月別アーカイブ: 2月 2023

あなたは明るい

「あなたは明るい」 2023/2/19 主の変容主日礼拝メッセージ

マタイの福音書17章1~9節

今週22日は「灰の水曜日」。この日からイエス様が十字架に向かっていく受難節(四旬節)の40日間が始まります。奇しくもウクライナ侵攻から1年の時期と重なります。あらためて私たち自身の中にもある自己中心を認め、悔い改める時としましょう。

今日は灰の水曜日の直前の日曜日で、「変容主日」です。山の上でイエス様のお姿が太陽のように輝きました。それはイエス様がご自分の受難について弟子たちに初めて予告してから6日後のことでした。あの時ペテロは「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(16:22)と言い、イエス様から「下がれ、サタン」と言われてしまいます。そんなことがあったものですから、イエス様から「一緒に来なさい」と山に連れて行かれた時、「怒られるのでは?」と思ったことでしょう。かつて山で聞いた「山上の説教」も厳しい内容でしたから。

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希望を告白しよう

「希望を告白しよう」 2023/2/5 顕現後第5主日礼拝メッセージ

マタイの福音書5章13~20節

きょうは姫路教会の年会です。今年のあいことばは「希望を告白しよう」、御言葉はヘブル10:23「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」です。ナチスによるユダヤ人強制収容所から生還したフランクルは、「夜と霧」の中で「あの極限状態の中で生きのびることが出来たのは、希望を失わなかった人だけだ」ということを書いています。このように、希望というのは人間が生きていく上で絶対に欠かせないものです。そしてわたしたちに揺るぎない希望を約束してくださるのは、わたしたちを造られ、命を与えてくださった神様ご自身です。

しかし希望を告白する前に必要なことがあります。それは (さらに…)

いのちを選ぶ

「いのちを選ぶ」 2023/2/12 顕現後第6主日礼拝メッセージ

マタイの福音書5章21~37節

人間は、まさに、罪を犯す者です。しかし、そう言われても、何か、自分はそこまでではない、という安心感も心のどこかにあるのではないでしょうか。でも、本当に人間は罪ある者だということが、今日のマタイ5:21~36でイエス様が指摘されている問題点でわかります。親や兄弟など、家族に向かって腹を立てたことのない人がこの世にいるでしょうか。また、人に向かって悪口を言うことも、程度の違いこそあれ、自分が正しく、正義だと思っている場合でも、批判がすぐに悪口になってしまうものではないでしょうか。

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幸せってなに?

「幸せってなに?」 2023/1/29 顕現後第4主日礼拝メッセージ

マタイの福音書5章1~12節

聖書の中での幸せとは、自分の努力で何かを掴むものではなく、神に祝福された状態のことです。神に祝福された人というのは、どういう人なのでしょうか?その答えがマタイ5:1-12に書かれています。

 「心の貧しい人は幸いです(5:3)」とまず書かれています。心という言葉は、霊/息/風とも訳せることです。そして、神様が人を造られたときに息を吹き込まれたという“息”は霊とも訳されます。ですから、心の貧しいというのは霊が貧しいという神様が与えられた霊が足りていない状態とも言えます。

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