幸せってなに?

「幸せってなに?」 2023/1/29 顕現後第4主日礼拝メッセージ

マタイの福音書5章1~12節

聖書の中での幸せとは、自分の努力で何かを掴むものではなく、神に祝福された状態のことです。神に祝福された人というのは、どういう人なのでしょうか?その答えがマタイ5:1-12に書かれています。

 「心の貧しい人は幸いです(5:3)」とまず書かれています。心という言葉は、霊/息/風とも訳せることです。そして、神様が人を造られたときに息を吹き込まれたという“息”は霊とも訳されます。ですから、心の貧しいというのは霊が貧しいという神様が与えられた霊が足りていない状態とも言えます。

 しかし、それがなぜ幸いなのでしょう?なぜなら、罪のゆえに「貧しくない」と思い込みたい自分。貧しさを認められない自分。貧しさに気づかない自分がいるはずです。しかし、もし私たちが自分のことが貧しいと思えるなら幸いであると聖書は教えます。

 イエス・キリストは、十字架でその罪の身代わりに死んで、三日目によみがえられました。身代わりというのは、貧しい私と豊かなイエス様が交換されたということです。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」とあるように、もうすでにイエス様が十字架で私たちの身代わりになってくださったので、心(霊)の貧しい私たちが天の御国をもらっています。

 分が貧しいと気がつかないとイエス・キリストを救い主として受け入れることはありません。自分が豊かだと思っていれば、イエス様を信じ、イエス様を信頼することはできません。ですから、私たちが心の貧しい者であることを認めることができるならどれだけ幸せであるかということを聖書は教えています。

 私たちは、本来貧しい自分を誇ることはできません。しかし、神は豊かさを誇ることが出来ます。そして、この神の豊かさの中で生きることが幸せな人生です。

(高平真生伝道師)