月別アーカイブ: 1月 2023

凡人力を武器にせよ

「凡人力を武器にせよ」 2023/1/22 顕現後第3主日礼拝メッセージ

マタイの福音書4章12~23節

きょうはガリラヤの片田舎で漁師をしていたペテロたちがイエス様の弟子になる箇所です。イエス様がガリラヤで活動を始めた直接的なきっかけはバプテスマのヨハネが逮捕されたことでした。国主ヘロデの不倫を非難したために逮捕されたのですからヨハネも不本意だったと思います。しかしこの逮捕がなければイエス様のガリラヤ伝道はもっと後になり、ペテロたちが弟子になることもなかったかもしれません。「神のなさることはすべて時にかなって美しい」(伝道3:11)。わたしたちも、たとえ不条理に思うことがあっても、それを神様が最善に変えてくださることを信じましょう。

ガリラヤ入りしたイエス様は、さっそくペテロたち4人の漁師を弟子にします。マタイは詳しい経緯を省略して、ただ「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(4:19)というイエス様の言葉でペテロたちが従った点を強調しています。

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骨折り損の兄弟もうけ

「骨折り損の兄弟もうけ」 2023/1/15 顕現後第二主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書1章29~42節

イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになった時、聖霊が鳩のようにイエス様の上にくだりました。それを見たヨハネは、イエス様が間違いなく神の子、救い主であることを確信し、ひたすらイエス様のことを人々に紹介します。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(39)と。「小羊」というのは「人間の罪を取り除くためのいけにえ」という意味です。それを聞いてヨハネの2人の弟子がイエス様について行きました。いわば彼らはヨハネからイエス様へと「師匠」を乗り換えたわけですが、ヨハネは喜んで言いました。「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)。このように、人々を自分の所ではなくイエス様の所に導くのが伝道です。

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新しい事がはじまる

「新しい事がはじまる」 2023/1/8 主の洗礼(顕現後第一)主日礼拝メッセージ

マタイの福音書3章13~17節

きょうは1月の第2日曜。イエス様が洗礼を受けられたことを記念する「主の洗礼日」です。しかしイエス様に洗礼を受ける必要があったのでしょうか?洗礼というのは罪びととして一度死んで、神様の子どもとして生まれ変わる式です。でもイエス様は元々罪がなく、元々神の子ですから、罪がゆるされる必要も、神の子として生まれ変わる必要もないはずです。しかしイエス様の洗礼は、ご自分のためではなくわたしたち人間のために絶対に必要でした。 (さらに…)

あなたの将来には望みがある

「あなたの将来には望みがある」 2023/1/1 降誕後第二主日・元旦礼拝メッセージ

マタイの福音書2章13~23節

あけましておめでとうございます。今年も御言葉に支えられながら過ごして参りましょう。きょうは、年頭にしては悲しい聖書箇所です。生まれたばかりのイエス様の命を奪うために、ヘロデ王が ベツレヘムにいる2歳以下の男の子を一人残らず殺したという事件です。この出来事は今の世界の状況と重なります。今ウクライナでも多くの子どもたちやお母さんたちの叫び声が響いています。なぜ神様はこのような悲劇を許されたのかわかりません。しかし神様は、ベツレヘムやウクライナ他で叫びをあげている人たちの苦しみを、同じように経験しておられます。「彼らが 苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた」(イザヤ63:9)。「贖い」とは 「代価を払って買い戻すこと」です。神様は、愛する一人子イエス様の命を代価として、人間を罪の中から贖い出してくださいました。子を失う親の悲しみを、神様は経験されたのです。

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