あなたの将来には望みがある

「あなたの将来には望みがある」 2023/1/1 降誕後第二主日・元旦礼拝メッセージ

マタイの福音書2章13~23節

あけましておめでとうございます。今年も御言葉に支えられながら過ごして参りましょう。きょうは、年頭にしては悲しい聖書箇所です。生まれたばかりのイエス様の命を奪うために、ヘロデ王が ベツレヘムにいる2歳以下の男の子を一人残らず殺したという事件です。この出来事は今の世界の状況と重なります。今ウクライナでも多くの子どもたちやお母さんたちの叫び声が響いています。なぜ神様はこのような悲劇を許されたのかわかりません。しかし神様は、ベツレヘムやウクライナ他で叫びをあげている人たちの苦しみを、同じように経験しておられます。「彼らが 苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた」(イザヤ63:9)。「贖い」とは 「代価を払って買い戻すこと」です。神様は、愛する一人子イエス様の命を代価として、人間を罪の中から贖い出してくださいました。子を失う親の悲しみを、神様は経験されたのです。

今日のベツレヘム事件の犯人はヘロデ王です。彼は自分の保身のために妻や息子たちをも殺した人物です。しかし一方で、私財をなげうって飢饉の被災地に物資を届けたりもしました。ヘロデはただ国民の支持を失うことを恐れた一人の小心者だったのです。そんな彼を「ただの暴君」で片づけることが出来るでしょうか?わたしたちにも同じような弱さがあるのではないでしょうか?神様はそんなわたしたちのために御子を十字架につけてくださいました。「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるため」に。(ヘブル2:14-15)

マタイはきょうのベツレヘムの悲劇と、過去に起こったバビロン捕囚の悲劇を重ね合わせ、「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。」というエレミヤの言葉を引用しました。このエレミヤ書の続きには「彼らは敵の国から帰って来る。 あなたの将来には望みがある」(エレミヤ31:16-17)とあります。だから、いま悲しみの涙を流している人の将来にも希望があります。イエス様の十字架の苦しみによって実現したこの希望を告白しながら、今年の歩みをして参りましょう。

(永田令牧師)