作成者別アーカイブ: Himeji elc

過去の投稿&メッセージ 

7/27 (土) 小中学生土曜クラブ ー 夏休みスペシャル

久しぶりに土曜クラブをします。
今回は「夏休みスペシャル」ということで、中学生のおともだちも合同だよ!
ゲームをしたり、おはなしを聞いたり、クレープパーティーもします(あまいのも、からいのも!)
おひるを食べたあとは3時まで自由。水遊びやボードゲーム、ボッチャなど、好きなことをして遊ぼう。夏休みの宿題をするのもOK!
お近くの人はぜひ来てね!

とき:7月27日(土)10:30~13:00頃(そのあと15:00まで自由)
さんかひ:小・中学生100円 高校生以上 300円。
※水遊びをしたいおともだちは、ぬれてもいい服と着替え、タオルを持ってきてね!

罪の囚われ人

「罪の囚われ人」 2024/7/14

マルコの福音書6章14-29節

 領主ヘロデが、兄の妻だったヘロデヤを自分の妻としたため、バプテスマのヨハネが「それは不法です」(18)と言ってヘロデを非難しました。ヘロデはヨハネを牢屋に閉じ込めます。しかしヨハネが正しい聖なる人と知って彼を恐れ、保護を加え、当惑しながらもヨハネの教えに耳を傾けていました(20)。ところがヘロデの誕生日の祝宴で、ヘロデヤの娘が踊りを披露し、喜んだヘロデは娘に「何でも欲しいものを言いなさい。与えよう」(22)と言ってしまいます。ヨハネを恨んでいたヘロデヤは、「バプテスマのヨハネの首」を求めるよう娘をたきつけ、娘はそれをヘロデに要求します。ヘロデは非常に心を痛めましたが、「自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって」(26)、牢の中でヨハネの首をはねてしまったのでした。イエスさまが力あるわざを行っているといううわさを聞いたヘロデが「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」(16)と言ったのは、ヨハネを殺したことへの罪の意識があったからでしょう。光と闇の選択を迫られたヘロデは、見栄とか体面とか、彼を取り巻く闇を愛して、光を棄てました。ヘロデは「光よりも闇を愛した」(ヨハネ3:19)のです。しかしこのヘロデを笑える人がどれだけいるでしょうか。 (さらに…)

じつは大丈夫

「じつは大丈夫」 2024/7/7

マルコの福音書6章1-13節

人々に御言葉を語られた所です。イエス様が神の国について教え、奇跡も行っておられたのに、ナザレの人々は聞く耳を持ちませんでした。子どもの頃から知っている人が、神の国について説くことに抵抗を感じたのです。ここに人間の罪の性質が表れています。神様の言葉よりも、自分の考えとか印象の方を上に置いてしまうのです。そのままでは人は変わることも、成長することも出来ません。イエス様の弟子たちの伝道活動の第一が「悔い改め」を広めることだったように(12)、わたしたちももう一度悔い改めましょう。神様よりも自分を上にしてしまう者であることを認めて、イエス様にすがりましょう。イエス様は、ナザレの人々やわたしたち、その他すべての人の罪を背負って十字架で死んでくださり、よみがえられました。このイエス様の十字架と復活を自分のためだったと信じる人は、罪がゆるされます。そして悪霊からも病からも解放されます。また聖餐にあずかることでわたしたちは新たに罪が清められます。そして言葉や行いや生活を通してイエス様を伝える人になります。

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いっしょうけんめい願う

「いっしょうけんめい願う」 2024/6/30

マルコの福音書5章21-43節

私たちは生きることそのもの、「いのち」そのものについては、具体的に左右できる力を持っていません。でも困難な時、私たちが心の底から神様に叫び求め、願って、祈り、何か導きがあると感じられることがあるのは本当に感謝なことです。ただ、私たちが求めたり、願ったり祈ったりすることは、何かが欲しいとか、お金持ちになりたいとかいった欲望のためではありません。「いのち」に関すること、霊的な事柄に関することです。

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