作成者別アーカイブ: Himeji elc

一粒の麦として

「一粒の麦として」 2024/3/17

ヨハネの福音書12章20~33節

 今日の福音書は、数名のギリシャ人が「イエス様にお会いしたい」と願う所から始まります。このギリシャ人たちは「過ぎ越しの祭り」というユダヤの祭りの礼拝に来た人々ですので、ユダヤ教に改宗した人々と思われます。旧約聖書に記された律法の高尚さに感銘を受け「わたしもこの神を信じ、他者を敬い、平和を作り出す人になろう!」と思ったのでしょう。そのギリシャ人たちがイエス様に会いたいと思ったのはなぜでしょうか?おそらく彼らは、律法通り神と隣人を愛したいと願いつつ、それが出来ない自分を発見したのだと思います。 (さらに…)

真理を行うものは、光のほうに来る

「真理を行うものは、光のほうに来る」 2024/3/10

ヨハネの福音書3章14~21節

 本日の箇所は、イエスさまのもとを訪ねてきたニコデモという人とイエスさまが問答された場面です。ニコデモは信仰に熱心で学問を積み、国民に聖書の解釈を教える立場の人でした。しかし「どうすれば人は救われ、神の国に入ることが出来るのか」を知りませんでした。イエスさまは「新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」とおっしゃいました。人の努力や知恵ではないということです。人は神によって作られたのに神に背いて罪を犯し、罪の欲求を追い求めて神の国の外へ出てしまいました。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です」(6)とあるように、私たちの心の根本が肉、つまり欲望の塊になっているので、神の国から外れ、自分ではそこへ入ることができないのです。ではどうすれば新しく生まれて、神の国に入ることが出来るのでしょうか?

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わたしが建て直してみせる

「わたしが建て直してみせる」 2024/3/3

ヨハネの福音書2章13~22節

 旧約聖書「出エジプト記」20章には、神様が人間に与えられた10の戒め、いわゆる「十戒」が記されています。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」「あなたの父と母を敬え。」「殺してはならない。」「姦淫してはならない。」…などです。これらは神様が人間に望んでおられる「人間本来の姿」であり、クリスチャンであるか否かに関係なくすべての人が守るべき生き方です。たとえ外見上は守っていたとしても、心の中で神様を軽んじたり、他の人々を軽んじたりしていたら、神様はお怒りになります。

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自由の喜び

「自由の喜び」 2024/2/25

マルコの福音書8章31~38節

 ロシアによるウクライナ攻撃も、イスラエルによるガザ攻撃も、いっこうに終わる気配がありません。特にイスラエルの行為は、同じ旧約聖書を持つ者として、とても心苦しい気持ちになります。もともとユダヤ人の先祖イサクと、アラブ人の先祖イシマエルは、同じアブラハムから生まれた兄弟なのに、なぜユダヤ人はアラブ人を「下」に見るのでしょうか?それはイサクがアブラハムの正妻でユダヤ人のサラから生まれたのに対して、イシマエルはサラの女奴隷でエジプト人のハガルから生まれたからです。そして聖書も一見、イシマエルよりもイサクの優位性を語っているように見えます。しかしそれは民族的な優位性ではなく、イサクを「自由の子」の象徴、イシマエルを「奴隷の子」の象徴として書いているのです。 (さらに…)