愛は外(そと)から

「愛は外(そと)から」 2021/8/29 聖霊降臨後第13主日礼拝メッセージ

マルコ7:1-8、14-15、21-23

イスラエルの北のはずれにあるガリラヤのイエス様の所に、エルサレムからパリサイ人や律法学者たちがやって来ました。何のためでしょうか?それはイエス様の言動や行動を怪しみ、直接注意するためでした。

さっそく彼らは、イエス様の弟子たちが「洗わない手」でパンを食べるのを見て、イエス様を非難しました。それは衛生上の理由ではなく、宗教上の理由でした。「洗わない手」は「汚(けが)れた手」であり、そんな手で食事することを神様は忌み嫌われる、と、昔からユダヤでは言い伝えられていたのです。しかしそれは聖書に書かれていない、人間が勝手に作り出した決まりでした。彼らは一見神様への敬虔な態度を装いながら、じつは神様よりも自分たちの方を上に置いていたのです。そんな彼らをイエス様は「偽善者」と呼びました(7:6)。そういう偽善者のようなところが、わたしたちにもあるのではないでしょうか?

このパリサイ人たちにイエス様はおっしゃいました。「外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです」(7:15)。つまり汚れは外からではなく、人間自身の中から出てくるということです。21節にあるような悪い考え、不品行、盗み、姦淫、貪欲、よこしま・・その他、ありとあらゆる悪はわたしたちの内側にあり、それが外に出て人を傷つけるのです。いくら「やめよう」と決心しても、もともと自分の中にあるものですから、どうしようもありません。

しかし一つだけ方法があります。わたしたちの内側に良いものがない以上、外からもらうしかありません。上からもらうしかありません。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来る」(ヤコブ1:17)。汚れたわたしたちを救うためにイエス様が天から来られ、わたしたちの代わりに十字架で死んでくださいました。このお方を信じて洗礼を受ける時、上から聖霊が与えられ、その結果わたしたちの中に「愛、喜び、平安、寛容、親切・・」等の贈り物が与えられるのです(ガラテヤ5:22-23)。わたしたちももう一度悔い改めて十字架を見上げ、聖霊様がくださる愛で人々を愛し、仕えていきましょう。

(永田 令 牧師)