天から遣わされた人

「天から遣わされた人」 2020/12/13 主日礼拝メッセージ

ヨハネ1:6-8、19-28

今年はコロナ禍で過ごすクリスマスです。でも、そのような大変な状況だからこそ、例年以上に慰めと喜びに満ちたクリスマスになると思います。マタイ1:23に「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)とある通り、大変な時こそイエス様はそばにおられます。

きょうの聖書はヨハネの福音書です。ヨハネは他の3つの福音書と比べてかなり独特な書です。いきなり「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1:1)という哲学的な言葉で始まります。
「ことば」とはイエス様を指しますが「出来事」という意味もあります。イエス様が語られた「言葉」と、イエス様が人類の罪を背負って死んで、よみがえられたという「出来事」。そのすべてが神様からわたしたちへの「言葉」なのです。
先週のマルコもそうでしたが、ヨハネもまず「バプテスマのヨハネ」について書き始めます。バプテスマのヨハネは「自分はキリスト(救い主)ではない」と明言しました。わたしたちも、「自分には人を助ける力はない。それが出来るのはイエス様だけ」という認識が必要です。同時にバプテスマのヨハネには「自分は神から遣わされた」という確固たる自覚がありました。イエス様を信じて洗礼を受けた者は誰でも「聖霊のバプテスマ」を受け、イエス様の弟子になります。すべての弟子はイエス様から遣わされた者です。だから「自分は人を救えない。救い主の証人として遣わされた者だ」という自覚が必要です。

「遣わされた者」にイエス様が望んでおられることは「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16-18)ということです。罪深く、愛のないわたしたちのところにイエス様は来てくださり、身代わりの死でわたしたちを救ってくださいました。この事を喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する時、天国はその人と共に在ります。その姿を通して人々は天国を見るのです。これが「イエス様の証人」です。コロナ禍でのクリスマス。あらためてイエス様がこの地に来てくださったことを喜び、祈り、感謝しましょう。

(永田 令 牧師)