この私に、なぜ?

「この私に、なぜ?」 2020/12/20 主日礼拝メッセージ

ルカ1:26-38

今年は世界中の人たちがコロナ禍でクリスマスを迎えています。こんなこと誰も想像できませんでした。しかしこのことは、クリスマスの一番大切な意味を静かに考える機会にもなったのではないでしょうか?

きょうの聖書の箇所はマリヤの受胎告知の場面です。「自分が救い主の母になる」と知らされた時、マリヤは「どうして私なの?まだ男の人を知らないし、名もない普通の女の子であるこの私に、なぜ?」と思ったことでしょう。

わたしたちも「なぜわたしに?なぜ我が家に?」と思うことがあります。それは辛い出来事の場合もありますし、何か大きな働きを頼まれたり、どうしても自分がそれをしなくてはいけなくなった、という場合もあります。でも神様のご計画はわたしたちの思いをはるかに越えており、その計画は、「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」なのです(エレミヤ29:11)。

神様はわたしたち一人一人を愛しておられ、すべての出来事の中に神様の恵みが注がれています。なぜそう言い切れるのかと言うと、イエス様がわたしたちすべての人間の罪を背負って十字架で死んでくださり、よみがえられたからです。本質的に神様のなさることを受け入れられないわたしたちのために、神様はひとり子を地上に送り、わたしたちの代わりに罰してくださいました。ここに愛があります。この神様の愛を受け入れる力も、神様ご自身が与えてくださいます。きょうのマリヤが、天使のお告げを受け入れることが出来たように。「神にとって不可能なことは一つもありません」(1:37)。

わたしたちも、たとえ疑いがあり、「主よなぜですか?」という思いがあっても、それを自分の使命として受け入れ、実行していくことが出来ます。イエス様の十字架によって示された神様の愛の力で、必ずそうなります。そのことを信じ、神様と人々に仕える人生を歩んでいきましょう。

(永田 令 牧師)