そこで偉大な奇跡が起こった

「そこで偉大な奇跡が起こった」 2022/5/8 復活節第4主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書10章22~30節

「イエス・キリストが天から来られ、わたしたちの罪を背負って死なれ、よみがえられ、再び天から来られる。」・・人がこれを信じることが出来るのはまさに奇跡です。信仰は神様からのプレゼントです。

ユダヤ人たちは旧約聖書の時代から救い主(キリスト)を待ち望んでいました。しかしイエス様が救い主であるとは信じませんでした。彼らが待ち望んでいた救い主は、諸外国を力で打ち負かし、偉大なイスラエルの国を復活させてくれるリーダーでした。こういうリーダーは今も世界にたくさんいます。

ユダヤ人は、十戒に代表される「律法」を神様から与えられていました。「神を第一とせよ」とか「自分を愛するように隣人を愛せよ」といった律法です。これらの律法の目的は、自分が律法を守れない罪びとであることに気づかせ、そのために救い主が必要であることを教えるためです。自分が相手の上に立って支配するための救い主ではなく、罪深い自分を滅びから救ってくれる救い主。その救い主こそイエス様なのです。

きょうの聖書箇所は「宮きよめの祭」の時に起こりました。この祭は昔ギリシャ人に奪われたエルサレム神殿をユダヤ人が取り戻したことを記念する祭で、自らの歩みを省み、神様の前に悔い改めるための祭です。しかしその祭りの最中にユダヤ人たちはイエス様に詰め寄り、あわよくば殺そうと考えていたのです。彼らは律法や神殿といった素晴らしい宝箱を神様から与えられておりながら、その宝箱を開くためのカギを受け取ろうとしませんでした。そのカギこそイエス様です。イエス様のいない礼拝は、たとえ礼拝そっくりであっても礼拝ではありません。

今でもイスラエルでは12月頃に「宮きよめの祭」が行われます。宮きよめの灯が消えなかった奇跡を記念してキャンドルを灯したり、ツリーを立てたりする、クリスマスそっくりの祭です。しかしそこにイエス様はいません。真の光、真の奇跡はイエス様です。イエス様が天から来られ、わたしたちの罪を背負って死なれ、よみがえられた。これこそ偉大な奇跡です。そしてこのイエス様を救い主として信じる人は罪がゆるされ、他の人々にイエス様を伝える人になる・・・。これもまた偉大な奇跡なのです。

(永田 令 牧師)