模範と贈り物

「模範と贈り物」 2022/5/15 復活節第5主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書13章31~35節

クリスチャンを名乗る人が戦争を始める、という現実を見る時、「クリスチャンとは何か?」「キリスト教会とは何か?」ということを考えさせられます。

イエス様は「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。」(34節)と言われました。愛し合うこと自体は「新しい」戒めではありません。旧約聖書の時代から「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」と教えられています(レビ19:18)。では「わたしがあなたがたを愛したように」、つまりイエス様のように自分の命を犠牲にすること、しかも家族や友人のためだけでなく、自分を憎む人のためにも命をささげること、これが「新しい」戒めなのでしょうか?いいえ、そうではありません。この「新しい」(カイノス)という言葉は「時間的に新しい」(ネオス)ではなく「質的に新しい」という意味の言葉です。今までとは全く異質の新しさです。

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」というのは、「イエス様の愛を模範にして、それと同じようにしなさい」と言う意味ではありません。「イエス様の愛を、イエス様ごと自分の中に受け取る」ということです。つまりイエス様を「模範」ではなく「贈り物」として受け取るのです。わたしたちは本質的に愛のない自己中心の者です。しかし神様はそんなわたしたちへの贈り物としてイエス様を与えてくださいました。イエス様はわたしたちの身代わりに十字架で死んでくださり、よみがえられました。誰でも自分が弱く、愛のない者であることを認めて、イエス様を贈り物として受け取るなら、罪がゆるされ、救われます。「福音の根幹は、あなたがキリストを模範とするより前に、神から与えられて、自分自身のものとされた賜物、贈り物としてキリストを受け入れ、認識することである。」(マルチン・ルター)

こうしてイエス様を贈り物として受け取る時、イエス様の愛がイエス様ごとその人の中に入ります。そしてだんだんとイエス様に似た者となっていき、まさにイエス様が愛されたように互いに愛し合えるようになります。これこそ「質的な新しさ」であり、その姿を見て周囲の人々は、イエス様がわたしたちと共に生きておられることを知るようになるのです。

(永田 令 牧師)