神と人を愛せよ

「神と人を愛せよ」 2020/10/25 主日礼拝メッセージ

マタイ22:34-46

ある時、パリサイ人がイエス様に質問しました。「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」。つまり「我々はいかに生きるべきか?」ということです。彼らはイエス様を試すためにこの質問をしたのですが、これはすべての人間にとって、とても大切な問いです。

イエス様はお答えになりました。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)。ユダヤ人はこの言葉を子どもの頃から聞かされていましたし、この言葉を箱に入れて額や腕にくくりつけるほど大事にしていました。しかしそんな形式的なことではなく、自分の実生活が神様に喜ばれるように生きなさいということです。つまりこの戒めは、神様との関係だけでなく、周囲の人々との関係にも影響します。この戒めに続いてイエス様は言われました。「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じように大切です」(22:39)。この2つは別々の戒めではなく、一つです。「神様は愛しているけど、人間はどうでもいい」とか「人間は大事だけど、神様はどうでもいい」ということはあり得ません。「神と人を愛する」こと、これこそわたしたち人間が正しく歩むためのカギなのです。

ところがこの大事なカギを、わたしたちは失くしてしまいました。似たようなカギならありますが、それでは人生の扉は開きません。このカギはわたしたちの中にはなく、神様から与えられます。神様よりも隣人よりもまず自分を優先するわたしたちのために、神の御子イエス様がわたしたちの代わりに十字架で罰を受けて死んでくださり、よみがえられました。このイエス様を信じる時、わたしたちは生まれ変わり、「神と人を愛する」カギを神様からいただくのです。

宗教改革者ルターは、自分の努力で神と人を愛そうとして苦闘していましたが、ついに、自分にそれが出来ないからこそイエス様が身代わりとなられたことがわかり、人生の扉が開きました。その結果、神の救いを説く書物を何冊も書きながら、悩む人々の相談にも乗る生涯を送りました。「神と人を愛する人生」は、神様ご自身がプレゼントしてくださるものなのです。

(永田 令 牧師)