どちらの側につくのか?

「どちらの側につくのか?」 2022/9/11 聖霊降臨後第14主日礼拝メッセージ

ルカの福音書15章1~10節

米同時多発テロ事件から21年たちました。当時の米大統領は「我々の側につくか?テロリストの側につくか?」と発言しました。このように自分の意に沿わない人々と自分たちとの間に線を引き、相手を見下したり憎しみを覚えたりする性質が、人間にはあります。

取税人や罪びとたちがイエス様の話を聞きに集まってきました。彼らは律法に背いて不正や姦淫を行っていたので、人々から白い目で見られていました。しかしイエス様は彼らを受け入れ、一緒に食事もしました。ところがそれを見てパリサイ人や律法学者たちが非難しました。自分たちは正しい側の人間だと思っていたのです。

そんな彼らにイエス様は3つのたとえ話をされました。100匹の羊のうち1匹が迷子になり、羊飼いが探し当てて喜ぶ話。10枚の銀貨のうち1枚がなくなり、持ち主の女性が探し当てて喜ぶ話。2人の息子のうち弟が放蕩の末、家に帰って来て父親が喜ぶ話。これらの話を読んで「自分は迷っていない99匹の羊。失われていない9枚の銀貨。父の家から離れなかった兄息子。」と思った人は、パリサイ人や律法学者たちの側に立つ人です。そして「迷子の羊は自業自得だ」とか「弟を無条件で迎えた父親は甘すぎる」等と言います。しかし、心の中では自分も不正や姦淫を行っていると知っている人は、自分こそ失われた者だと分かり、1匹の羊や1枚の銀貨を探し当ててくれた持ち主に対して、また弟を無条件でゆるしてくれた父親に対して、言いようのないありがたさを感じるはずです。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(Ⅰテモテ1:15)。

パリサイ人や律法学者は、自分を罪人だと認めなかったのでイエス様の所に行きませんでしたが、認める人はイエス様の所へ行き、イエス様もその人を救ってくださいます。その人の罪はイエス様の十字架によってゆるされたからです。
毎日罪を悔い改め、新たにイエス様に感謝する人は、イエス様の福音を人々に知らせる人になります。持ち主の手に戻った銀貨のように、本来の輝きを発揮するのです。かつて取税人だったマタイは、取税人仲間とイエス様が出会えるように、食事会を催しました。それを見てパリサイ人や律法学者たちは、またしても非難しました。あなたはどちらの側につきますか?

(永田 令 牧師)