ライスワークとライフワーク

「ライスワークとライフワーク」 2021/8/1 聖霊降臨後第10主日礼拝 メッセージ

ヨハネ6:24-35

きょうは平和の主日です。ちょうど「平和の祭典」であるオリンピックも行われています。しかし平和はイベントによって実現するものではなく、1人1人の心の中で築かれるべきものです。

イエス様が5つのパンと2匹の魚で5000人以上の人を満腹にされた出来事を体験した群衆は、その後もイエス様を捜し回りました。イエス様は神様だと信じたからではなく、イエス様を独り占めにして、いつでもパンを出してもらおうと思ったのです。こういう自己中心なところがわたしたちにもあるのではないでしょうか?そしてこれこそ平和に反する性質ではないでしょうか?

この群衆にイエス様は言われました。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(27節)。「なくなる食物」とは、食べ物だけでなく物質的な財産です。それらはもちろん必要なものです。しかしそれだけを追い求める人生では心が飢え渇きます。「いつまでも保つ食物」、それはイエス様です。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(35節)。これは神様からの絶対的な宣言です。平和からほど遠く、神様よりも、他の人よりも、まず自分のことを考えてしまうわたしたちのために、神の御子イエス様が天からくだられて、わたしたちの代わりに十字架にかかり、罰を受けてくださいました。イエス様を信じる人は罪が赦され、飢えることも、渇くこともありません。イエス様ご自身が十字架の上で「渇いて」くださったからです。このイエス様の体と血をいただく式が聖餐式です。聖餐によってわたしたちはますます聖霊様に満たされ、神様のわざを行うことができるようになります。

「ライスワーク(食べるための仕事)か?ライフワーク(生きがいとしての仕事)か?」という議論があります。両方、人間にとって必要です。だから「日ごとの糧」を祈り求めつつ、「みこころが地上に成る」ことも祈りましょう。地上に平和が実現し、皆が活力を持って生きられるように努めましょう。その結果、自分自身の喜びも倍増します。今週もイエス様を仰ぎ見ながら、自分のためのライスワークと、神と人のためのライフワークに励んで参りましょう。

(永田 令 牧師)