イエス様を食べよう!

「イエス様を食べよう!」 2021/8/8 聖霊降臨後第11主日礼拝メッセージ

ヨハネ6:35、41-51

きょうのタイトルは「イエス様を食べよう!」です。もしかしたらこれを見てショックを感じた人もあるかもしれません。「イエス様を食べる」とはいったいどういう意味でしょうか?

「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません』」(ヨハネ6:35)。この「いのちのパン」の「いのち」には、「活き活き生きるちからの源」という意味が含まれています。人が「活き活きと」生きるために不可欠なもの、それはまずは食事です。おなかがすいていたら良い結果を残せないどころか、そのままでは死んでしまいます。預言者エリヤが霊的に落ち込んでいた時、神様が彼を元気づけた方法は、パンを食べさせ、水を飲ませることでした。人間にとって食べて飲む、ということは、肉体のためにも、魂のためにも必要なのです。バランスの良い食事を心がけましょう。

しかしただの「ごはん」だけでは、内側から活き活きと生きることは出来ません。わたしたちは「イエス様を食べる」必要があります。イエス様を食べるとは、イエス様がわたしたちを罪から救うために天から来られて、わたしたちの身代わりに十字架で死んでよみがえられたことを、自分のこととして信じて洗礼を受け、聖餐にあずかるということです。聖餐でイエス様の肉(パン)を食べ、イエス様の血(ぶどう酒)を飲む人は、永遠のいのち、すなわち活き活きとしたいのちを持っています。

もう一つ、イエス様の「別の食べ方」、それは毎日ご飯を食べるように、聖書を読むことです。御言葉によって自分を省み、悔い改めと感謝を毎日積み重ねていく時、わたしたちはイエス様を食べており、イエス様がわたしたちを内側から満たしてくださいます。こうしてわたしたちは、肉的なものの考え方から、霊的で、神と人を中心とした考え方に変えられていきます。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペソ4:32)。わたしたちも日々、心と体と魂にイエス様を取り込み、周囲の人々に「心優しく」接して行きましょう。

(永田 令 牧師)