元気づけてあげます

「元気づけてあげます」 2017/7/30

イザヤ40:26~31、マタイ11:25~30

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(11:28)。この「休ませてあげます」という言葉をマルチン・ルターは「元気づけてあげます」と訳しました。ほんとうの「休み」とは、ただ心や体をリラックスさせるだけではなく、イエス様の御言葉を聞き、聖餐にあずかることによって、生き生きと活躍する力を魂にいただくことだからです。

なぜイエス様のもとに行けば、休み(元気)が与えられるのでしょうか?

まず第1に、イエス様の十字架によって新たに罪の重荷が取り去られるからです。罪ゆるされた後もわたしたちは罪びとですから、繰り返し罪を悔い改め、ゆるしていただく必要があります。いつでもイエス様に罪の重荷を取っていただくことで、わたしたちは「身軽に」活動することが出来ます。

第2に、イエス様の優しさと謙遜を学び、見ならうことによって、心に安らぎが与えられます。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(11:29)。イエス様の優しさと謙遜に少しでも近づこうとする時、わたしたちは自分の罪深さを痛感し、再びイエス様の十字架へと立ち返らされます。この「ゆるし」と「学び」を繰り返すことによって、わたしたちは少しづつイエス様に似た者となっていきます。これが聖霊様の力です。

鷲は、獲物を、肉も骨も丸ごと食べるので、年老いても元気です。わたしたちも「ゆるしの御言葉」と「学びの御言葉」を、両方丸ごと食べましょう。そうすれば鷲のように元気に生きることが出来、「走ってもたゆまず、歩いても疲れない」者となります(イザヤ40:31)。今週もイエス様のもとで休ませて(元気づけて)いただいて、生き生きと自分の務めを果たして参りましょう。(永田 令牧師)