塵の中を通って

「塵の中を通って」2017/7/9

    出エジプト19:01~18、マタイ09:35~10:15

イエス様は「収穫のための働き手」とするために、多くの弟子(従う者)の中から12使徒(遣わされた者)を任命されました。収穫とは、救いに与る人々のことで、今日の箇所では、6節にあります「イスラエルの家の失われた羊」つまりユダヤ人を指しています。更に、使徒たちの派遣先はガリラヤ地方に限定されていました。このガリラヤ地方は異邦人による異教文化が根付いていたため「異邦人のガリラヤ」と蔑まれ、人々の心は痛んでいました。しかし、そんな人々のもとにイエス様は人となって来てくださいました。

イエス様の故郷も同じガリラヤ地方だったため、人々の痛んだ心をよく理解し、深く憐れんでくださったのです。又、12使徒たちも同様でした。宣教の働きに欠かせないもの、それは福音を宣べ伝えることと、相手を憐れむ、心からの施しです。イエス様ご自身が、この両方の働きを成し遂げてくださいました。このイエス様の働きをギリシャ語で「ディアコニア(仕える、奉仕する)」と言い、「ディア=~を通って」+「コニア=14節の“足のちり”」つまり「ちりの中を通って」という意味があります。罪によって引き裂かれた、私たちと父なる神様との関係を修復するために、イエス様は十字架という「ちり」の中を通ってくださったのです。イエス様の十字架の贖いを信じて受け取るなら、私たちの罪は赦され、天の御国に迎え入れられます。更にこの地上においても、イエス様のように神様と隣人を愛し、イエス様と共に収穫の喜びを味わう者へと変えられるのです。

家庭、職場、学校、教会と、皆様にしか寄り添うことのできない方々がおられます。

塵をかぶること(傷ついたり、落ち込んだり、疲れ果ててしまったり・・・)もあるでしょう。しかし、そこにこそイエス様が共におられます。十字架を見上げ、パッパと塵を払い落とし、私たちの思いや働きの全てを、イエス様にお委ねしましょう。そして、私たち自身の救いの恵みに立ち返り、感謝と喜びをもって、更に遣わされていきましょう。  (高橋 恵  聖書学院生)