恐れよ、恐れるな

「恐れよ、恐れるな」 2017/7/16

    エレミヤ20:07~13、マタイ10:16~33

聖書を学んでも学んでも身につかないわたしたちですが、それでも学び続けることで、少しずつ変えられていきます。これが御言葉の力です。

今日の福音書に「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです」「わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます」とあります。もちろんクリスチャン生活は、喜びと平安と笑顔に満ち溢れたものですが、同時に、クリスチャンだからこそ通らなければならない試練や痛みもあるのです。

また「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」とも書かれています。まるで「死ぬまで迫害を耐え忍ばなければ天国には行けません」と言っているような、恐ろしい言葉です。しかしそうではありません。「弱いわたしのためにイエス様が十字架で死んでよみがえられた、そのおかげでわたしは既に救われている」という信仰に立ち続けなさいという意味です。そしてこの福音を伝えるために、「蛇のように賢く」生き続けなさい、と聖書は教えているのです。だから23節には「迫害されたら逃げなさい」とも書かれています。

このように、聖書はわたしたちに、「恐れよ」と告げたり、「恐れるな」と告げたりします。クリスチャンになったからと言って「100パーセント恐れが消え、喜びと平安だけになった」とはなりません。それで良いのです。恐れがないと、わたしたちは傲慢になり、イエス様に頼らなくなります。エリヤやエレミヤといった信仰の猛者たちもそうであったように、「恐れよ」と「恐れるな」の間を行ったり来たりする・・それがわたしたちの信仰生活です。その繰り返しの中で、わたしたちの信仰は少しずつ成長していきます。信仰生活とは「悲しくて楽しい・・かなたのしい」ものであり、「失うことによって豊かになる」ものです。わたしたちは「恐れることによって、恐れない者となる」のです。   (永田 令牧師)