ガザは今、荒れ果てている

「ガザは今、荒れ果てている」 2024/4/28

使徒の働き8章26~40節

きょうの聖書には、いま渦中にある「ガザ」が出て来ます。「(このガザは今、荒れ果てている)」(26)。しかし、この「荒れ果てた」ガザで素晴らしい出来事が起こったのです。今日の箇所に登場するピリポは、12使徒ではなく執事(信徒)のピリポです。しかし彼は「信仰と聖霊に満ちた人(6:5)」で、12使徒以上に精力的に福音を宣べ伝えました。誰でも聖霊様の導きに従って歩むなら、ピリポのような活躍が出来ます。迫害を逃れてサマリヤ(現在のヨルダン川西岸)にいたピリポは、そこで伝道して多くの人がクリスチャンになっていました。ユダヤ人とサマリヤ人の間にあった壁が、イエス様によって崩れたと言えます。そんなピリポに主の使いが「ガザへ向かいなさい」と言いました。ピリポは「なぜ祝福されたサマリヤを離れて荒れ果てたガザに?」と思ったかもしれませんが、素直に従いました。すると、エチオピアの女王カンダケに仕える宦官が礼拝を終えてエルサレムから帰るところに出くわします。この宦官はユダヤ人ではありませんでしたが、聖書の神様を信じていました。一方で「自分は神様から認められているのだろうか?」という不安も持っていました。彼は馬車の中でイザヤ書の「彼は口を開かなかった。彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた…」(イザヤ53:7-8)という箇所を読んでいました。そこへピリポが「読んでいることがわかりますか?」と声をかけたので、宦官は「これは『誰』について書いてあるのですか?」と尋ねました。これはとても重要な質問です。それはイエスキリストのことであり、イエス様がすべての人の罪を背負って死なれたこと、3日目に復活されたこと、誰でもイエス様を信じて洗礼を受けるなら罪が赦され、永遠のいのちをいただけるということをピリポは伝えました。宦官はその場でピリポから洗礼を受けて、喜びながら国に帰って行ったのでした。聖書は「何について」書いてあるかよりも「誰について」書いてあるかが重要です。そう、イエスキリストです。今のイスラエルはそれを認めず、大きな過ちを犯しています。しかし、ぶどうの木と枝のようにイエス様とつながる時、人は「隔ての壁」を乗り越えて、豊かな実を結ぶことが出来ます。今「荒れ果てている」すべての場所が、イエス様とつながり、豊かな愛の実を結ぶようになることを信じて、共に祈って参りましょう。

(永田 令 牧師)