見返りは?

「見返りは?」 2023/9/25

マタイの福音書20章1~16節

 今日のたとえ話は「ぶどう園で12時間働いた人も、1時間だけ働いた人も、同じ額(丸1日分)の賃金をもらった」という話です。地上のルールに照らせば、どう考えてもおかしいですよね。しかしきょうのたとえ話は「天の御国」について教えています。天国のルールは、地上のルールとは違うのです。

このたとえは「先の者があとになり、あとの者が先になる」(19:30)という言葉について説明するたとえです。これはペテロが「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」(19:27)と尋ねたことに対するイエス様の答です。「先」とか「あと」というのは「順番」のことではありません。「先」というのは「価値の高いもの」、「あと」というのは「価値の低いもの」を表しています。つまり「先の者があと、あとの者が先」とは、「価値が高いと思ったものがじつは価値が低く、価値が低いと思ったものがじつは価値が高い」ということです。どういうことでしょうか?12時間働いた人は、自分の努力によって主人から良いものが得られると考えました。そして1時間しか働かなかった人を見下げました。ペテロにもそういう傾向が見られたようです。しかしそのように自分の頑張りを誇る人は神様から退けられます。一方、1時間しか働かなかった人は、わずかな賃金しか期待していなかったのに、丸々1日分の賃金をいただきました。じつに「不相当」な金額です。しかし天国は不相当な所です。なぜならイエス様がすべての人の罪を背負って十字架で罰を受けてくださったからです。このイエス様の功績によって、わたしたちは、何の頑張りも支払いもなしに救われました。そのことをただ喜び、感謝すれば良いのです。この感謝を忘れると、ペテロのように「見返り」目当ての服従になり、「頑張っていない」と感じた他者を裁くようになります。しかし1時間で1日分の賃金をもらった人のようにただ神様の恵みに感謝する人は、神様によって高く引き上げられ、大いに用いていただけます。きょうのぶどう園の主人は、12時間働いた人にだけ「友よ」と呼びかけました(13)。イエス様の友として、同志として、多くの汗を流せることは大きな喜びです。この喜びこそ、イエス様の弟子だけが味わえる最大の「見返り」なのです。

(永田 令 牧師)